ところで何をやっているかというのは、昼は長靴をはいてごつごつした岩場を歩き、ヤドカリやアメフラシやウニや海綿や海藻をとり、夜は飲んでいる。
朝方、「季節の記憶」を読んだ。
- 作者: 保坂和志
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/09/01
- メディア: 文庫
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この本を持ってくるチョイスは単純で、小説の舞台が鎌倉だということである。鎌倉と三浦半島とでは違うが、植生としてそんなに変わらないと思い、読んでいる。小説は季節が秋から冬にかけてだからずれている点が気になる。気にしても仕方がない。
小説とは外れて、ひとつ思うのに、世に見る人の住処というものを考えて、例えば神奈川から大学に通ってきている同級生や先輩たちは、良家の子女が多いな、ということがある。彼/女らに野心というものはあまり感じなかった。目が曇っているのでなければ、たぶん、もう得てしまっているからだろう。エスタブリッシトな人々なのだろう。
いっぽう、東京は、京王線小田急線になるとちょっと神奈川的なものもある。山手線まわりまわりということでは、ガツガツしているなという感じる。ちょっと目が血走ってしまっていても許容される、ふらふらして家にたどり着いてもひとり、そういうエスタブリッシングである人々がいるだろう。
中央線は、どこか千葉・茨城あたりとも共通するかとも思うが、庶民的というか、立身ということからすこし距離がある、マイペースである。
ひるがえって、では埼玉は、と思いめぐらすと、ずいぶん庶民的な匂いがする。そんな埼玉に私は身を移そうとしている。
BGMはゴスペラーズの「ひとり」で、この小説に実にあった。ゆっくりした曲の調子と、高低の声が響きあう様子が、「季節の記憶」のもつ光とよく似ていた。