歯石取り

3度目の歯医者は、歯石取りであった。できていた歯石を削ってもらった。どこかしら奇妙な感じだった。2週間後、型を取り、詰め物をしてもらう。が、2週間、もつのだろうか。もたなければまた徹底的にやってもらえばいいだろう。
セミナー出席のため、本郷に行った。本郷では、尾瀬みやげを配って歩いた。みやげを配ると、そのたびに人と話ができていい。昼は、もり食がいっぱいだったので、大島やに行った。
ある研究室で、就活の話になり、卒研生である後輩に、
「結局、ハマヂさん、敗者なんですよね。そうっすよね、だってあきらかに社会に適合してないじゃないすか」
と言われた。その通りだった。レトリック上は、「その通り」の後、「でも……」と続くのが常だが、続かない。私は敗北を受け入れる。適合していないらしい事もわかっている。それらのことは認めつつ、どうするべきかを常に考えている。
劇をする、と言ったとき、「そんな暇があったら就活しろ」と友人から言われた。別の人に「何がやりたいんですか」といわれた。答えられなかった。今でも答えは出ない。いや、答えは言えない。ただ直覚してもらうしかない。いくつか述べておくと、自他を観察して、仕事で「やりたいこと」なんていうのは結局のところ、どこかで思考停止をするしかない。嘘をつくか、間違うかするしかない。友人の観察によれば、就活生の中には落ちた会社を「キモい」と言う人が出てくるということだった。観察眼は、確かだった。人は、平気で、それまでに言っていた事を覆す。私もそうだ。かつては、というか就職活動を始めた頃は、金を求めて働くのだと思った。公言しもした。だが、耳の後ろで囁く声がした。そして就活をやめた。その、間違いというか思考停止というかはおくとして、これは昨日のこととリンクしている。間違わないで正しいことというのは、カフカの言うとおり、実は、宗教(というより、祈りであるから、信仰)、芸術、学問のどれかしかない。そしてこれら正しいことは、ある程度は現世の利益を捨象するところがある。
就職活動を止めるということは自らの適応的意義を断つことだと認識している。そんなことはないよ、という人の声に対しては、頭の中に"Liar!"という声が響く。それでも立って動き出すのは、やはり理想を信じているからだろう。毎朝、中島みゆきを口ずさみながらシャワーを浴びるのが常になってしまった。