ベッカーズで終電まで、というのが常態化している。
スパイシーポテトをほおばりながら業務を淡々とこなした。
歌の練習はひと段落ついた。あまり早く完成しても、ぎりぎり完成でも、どちらも聞いているほうとしてはほぼ同じである。ぎりぎりのほうが、あるていど緊張感があってよかろう。
難しい本が読みたいと思った。脳が求めていた。といって手にとったのがフリードマン「選択の自由」である。厚い。しかしこれも一般向けの本である。翻訳がひどい。翻訳者の仕事とは、ふたつの言語を架橋することではない。翻訳と和訳のあいだを埋めるのが翻訳者なのだ。英語を日本語にするなら初学者でもたやすいことだ。そうではなく、英語の文化を背負って英語で読む人が感じることを、近似的にでもそのまま/同様に日本語で感じることができるよう文章を組むのが翻訳者の使命である。
ダビンチ誌をめくってみ、うへっ、と思った。今年のブックオブザイヤー、か。モロに「趣味は読書。」って感じで、要するにオメ、こりゃ別に本が好きでもなんでもねエのさ。こんなランキングなんてカスみてエだ。本屋歩いてりゃすぐこンなとこに並ぶ本なンて目につくわ。じゃあそういう情報がなぜに価値を持つかというのは、だ、オメ、コの雑誌読む奴は本屋なんて行かねエのさ。本屋は好きだから行くンじゃねエンだ、気いついたら本屋なのさ。気いついたら本屋の中にいンのさ。気いついたら本買ってンのさ。気いついたら部屋ンなか本だらけさ。やっぱ俺は本が必要なンだ。例えば休日に本を買うためにどこぞの遠い街へ出かけるとかは、あり得ねえ。「お出かけですか」かよ、オメ、オメ、オメでてえな。例えば、だ、俺が津にいて、名古屋へお出かけていって、ブックオブザイヤーだかなんだかしらねエが、ハリポッタだの影日向に咲くだの東京タワーだのアフターダーク文庫版だの、買うかよ。買わねェよ。だァら、そーいゥんはアウツよ。痛ツいのよ。F**kよ。Sa-TSU-ga-iしてやるよ。ンなの、そもそも、チャムの別所書店で買うよ。イきの近鉄急行で読みきるよ。ワナビどもにモブ・ノリオが「ダビンチなんて読むな」と言い放ったという一点をもって、私はノリオを信用する。