千冊を語れるほど私が本読みではないのは客観的に確かなのでしょうが、どうしてもいいたくなるときがあります。
千夜千冊はくだらん。あれだけの分量というのは当然踏みにじられてしかるべき性質のものです。千夜千冊の記事を読むと、まず嫌な感じがする。悪い意味での「まわりみち」です。当該の書籍を読むに当たり、さしあたり千夜千冊のこの記事は不要であるということです。千夜千冊の記事では当然の事ながら、紹介されている本を読んだことにはならないし、はっきり言って紹介されている本を読む助けにもならないものです。それは、セイゴオ本人のマシン性能であるようにも思えます。
ましてや、強引に「編集」のキーワードを据えて線をつなぐような書き方は、私はあまり感心できません。「すべては編集である」といった瞬間、その論理はTheory of Everything (TOE、と略されます) 「万物理論」へと一気に昇華し、雲散霧消してしまうのではないですか。
セイゴオを読むのであればもとの本を読んだ方がはやい、というのは滑稽な話ですが。
読んでいてやはり記憶に残ることは、セイゴオが一編集者として20世紀終盤を生きてきたという証言です。たとえばルイス・トマスの稿ではスーザン・ソンタグに褒められたよという自慢が書いてあったりするのですが、そうしたことも証言としては残されるべきです。
セイゴオの挙動を見ていて思い出したのは立花隆です。博覧強記をウリにする。で、知的生産についての本を書く。
たとえば私が思い描いている典型的な人文の学徒とは、千夜千冊よりも、「紙つぶて」と「思想のドラマトゥルギー」を座右に置くようなひとです。
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