そういう緩み、隙があってこそ健全な社会なのだ。
自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス)あたりではじめてこういう世迷言を読みました。セキュリティシステムの蔓延によって「犯罪をする自由」が抑制されるからマズいそうです。正直、なんじゃそりゃ、と思いました。
上に紹介した一文では「格差社会」論を引っ張って料理してあるようです。金持ちは金を撒いて警備できるし被害を受けてもダメージが少ないけど、貧乏人は被害を受けやすくなってしまったうえにダメージも深刻だそうです。それは確かにそうです。だから金持ちはワザと被害を受けなくてはいけない。
実に、面白い冗談です。モンティ・パイソンにでも出てきそうです。
ちょっとボソボソとつぶやいてみますが、犯罪抑止機構が上の文章では2つでてきます。
- 資本制、の制約を受けるSECOM(警備会社)
- お金が必要。金持ちが利用する。貧乏人は利用できない。素晴らしい格差社会!
- 国家、によって運営されている警察
- 金持ちも貧乏人も利益を受ける。税金は払わないといけない。基本的に、事件が起こってからでないと本腰を入れてくれない。
と、こういうふうに分類できるかと思います。
さて、ひとはこれだけしか犯罪に対抗する手段を持っていないのでしょうか?
- 個人
- 非力。男女差ありすぎ。でも手段はなくはない。スタンガンとか警笛とか催涙ガスとかナイフとか。
- 家族・隣近所
- いうなれば共同体のメンバーによる相互扶助、相互の協力。基本的に面倒い。でも頼りになるときもある。
こうした視点を盛り込んだうえで、なお「コペルニクス的転回」が必要であるというのなら、きっとそうなのでしょう。