怪物まっぷたつ

はてなをみわたすと吉田健一の訳文が読みにくいというブログが意外に多かった。
ひとつ、この訳文に感嘆しているエントリがあった。しかし、その人は同時に、吉田への抵抗感も同時に表明していた。
ざっとまとめるとこうなる。

  • 訳が読みにくい。苦痛。
  • 「指南書」のはずなのにわかりにくい。
  • 訳に驚いた。地に足の着いた考察に共感できる。

私自身の感想としては、翻訳については、柳瀬尚紀のいうとおり、まさに怪物。まぎれもなく翻訳文であるというのは確かなのだ。日本語にしてはちょっと長い。しかしどうやって翻訳したのかさっぱりつかめない。それは昨今のヘタクソな英文和訳文とはちがう。戦慄すべき日本語。
pp. 70 「我々は皆、自分一人だけ愛されたい。」
pp. 44 「女は本能的に自分というものを与えることを望んでいて、同時に、自分を小刻みに人に与えることを喜ばない。」
pp. 48 「……もしその時間は自分が一人でいることにしているからという理由で相手の申し出を断われば、そういう人間は礼儀を知らないか、我がままか、変っているということになる。」
pp. 62 「……凡て人間と人間の関係は、それが友達、或いは恋人同士、或いは夫婦、或いは親子の関係、或いはその他何であっても、初めのうちは純粋で、簡単であり、重荷になるものなどはない。」
あと、リルケのことばの引用中、「最も近い二人の人間の間にも無限の距離がやはりある」と (pp. 97)。
pp. 106 「二人は同時に、分け合うことと孤独、親密な感情と抽象の境地、また、個別的なものと普遍的なもの、身近なものと遠いものの間を振り子が往復する、もっと大きな律動と調子を合わせるべきではないだろうか。」

我々は恒久的な持続に執着するが、生活でも、愛情でも、その持続は成長に、また、流動性に、そしてまた、自由であることにしか求めることができなくて、踊り手は自由であり、通りすがりに触れ合うだけであっても、やはり同じ律動で結びついている。所有するのが安全なのではなくて、それは要求したり、期待したり、希望したりもしないことでなければならない。人間的な関係の保証は昔に郷愁を覚えて振り返ってみたり、未来に恐怖を感じたり、期待を掛けたりすることにはなくて、それは現在に生き、現在の状態をそのまま受け入れることにしかない。なぜなら、人間的な関係も島のようでなければならないからである。
(pp. 109)

こうやってこの部分を引用してみると、というか、横に、そしてこの部分だけ切りだしてみると、まったく意味が分からない文章であることにこれまた驚いた。解説すると、人間は皆孤独だし、その孤独を完成させた上でくっつくとお互いに得るモノが大きいしラクだよという意で、持続の対義である断続という言葉を何度も使っているし、前段で踊り子の比喩も出てくるから、本の中で縦書きで読んでいるときはすんなり入ってくる。