あなたは、書くひとですか?

作文にコンプレックスは、持っていませんか?
そんな、お話。

作文のつまずきの分析 (岡本1990)


中二病のことを言っているようですごくおもしろい。しばらく前に Tumblr. に出してあったけど、もうちょっといろいろ考えてみたくなって日記で紹介することにした。「学ぶこと・教えること―学校教育の心理学」って本。現代教育論って講義の教科書だった。

指導→表現意欲アップ→つまづき→(人生の岐路!!)
適切な指導が与えられれば乗り越えてまた新しいサイクルへいける
指導が不適切だとコンプレックスを抱えたまま大人になってしまう

かならずしもこのサイクルだけではないと思うのですが、モデルとしてはとても面白い。なにより、このサイクルがバチッと当てはまっちゃう人もいる気がする。いろんなブログをざらざら見ていてもそう。もし、コンプレックスがどこかにある人がいれば、自分はこの図のどこかで山を降りてしまっていないか自省してみると、書くことが楽しくなるんじゃないかな。

小学校

  • 指導(文字を教える・鑑賞)
  • 表現意欲アップ・【ありのまま作文】
  • つまづき1・表現意欲ダウン:恥ずかしさの自覚
    • (そのまま行くと)文章表現に嫌悪感を持った大人になる→GAME OVER
  • 指導(表現形式の多様化)
  • 表現意欲アップ・【類型的作文】
  • つまずき2・表現意欲ダウン:何を書いていいかわからないと言い始める
    • (そのまま行くと)文章表現を形式だけのものと考える大人になる→GAME OVER

中学校

  • 指導(関心のある題材を与える)
  • 表現意欲アップ・【主客混在の文章】
  • つまずき3・表現意欲ダウン:ひとり言のような文章を書き始める
    • (そのまま行くと)他人も自分と同じ好き嫌いの傾向を持っていると信じる大人になる→GAME OVER

高校

  • 指導(事実と意見の区別表現)
  • 表現意欲アップ・【事実羅列型文章】
  • つまずき4・表現意欲ダウン:書き方がわからないと言い始める
    • (そのまま行くと)報告は「客観的」表現だと信じる大人になる→GAME OVER
  • 指導(文章構成の型を教える)
  • 表現意欲アップ・【難語句多用型文章】

大学・社会人

  • つまずき5・表現意欲ダウン:自分の書く文章は無価値だと言い始める
    • (そのまま行くと)難解な文章が高級だと信じる大人になる→GAME OVER
  • 指導(体験の価値を教える)
  • 表現意欲アップ・【平明達意の文章】

そして、その先

小学校のとき、友人テラシマ君からFinal Fantasy III通称FF3を借りて、RPGというジャンルを知った。
FF3にはジョブというシステムがあって、これについてはググレカス的な意味で詳述しないけれど、最初はタマネギ剣士という無属性のジョブしかない。そのあと様々なジョブを経ることになる。しかし終盤、「タマネギシリーズ」という最強の武器防具を装備するのは、タマネギ剣士である。
さて、冒頭の図をもういちど見直してほしい。

右上の成長段階を越えたあと、人はどこにいくのか気にならないか。
時々思うのだけど「心を射抜く」あるいは「記憶・印象に残る」という文章という点において、「ありのまま」の率直な文章に勝るものはないのではないか。タマネギ剣士が最後には最強の資格を有するのと同じように、「ありのまま作文」のもつ破壊力は底知れない。たとえばhttp://d.hatena.ne.jp/kotorikotoriko/を読むと、単なる事実羅列かと思いきや、なかなかどうして可成りの手練れである。ファンも多い。世界文学に範を採ればヘミングウェイを真っ先に指すことになるだろう。
twitterから目が離せなくなってしまったのは、短文ゆえに強いられる率直さのためだ。意図して放たれる文章もあれば、何の気なしに書いた文章が意外な反響を生むこともある。

これなんかは、かなり率直に書いたほうで、ちょっとだけ狙って書いている。そうしたら意外とウケた。確認されているだけでも17人のtwitterユーザからfavoriteされているということだ。自分でもこの言い回しが気に入っている。「にぎやか」なのに「静か」という、一見矛盾するように見えて、精査すると両立しうる形容詞が並んでいる。「にぎやか」という語は活発なコミュニケーションを意味する。しかし、コミュニケーションは必ずしも音声のみで行われるわけではない。手話としては原理的に音声は不要で、当然「静か」である。それでいてコミュニケーションは遂行されていく。
上掲の図に異論を唱えるわけではない。文章をつむぐという活動を継続してうまくやっていくのは簡単なことではない。訓練が必要だ。ただし、率直で力強い文章が記憶に残ることもある。図で、一番最初の段階に戻るというのはどういうことかというと、文章を書いたときに恥ずかしいと思わないようにするための訓練なのだろうと思う。そうして書くことができるのが自信の持てる文章だったり、自信はないけど今はこうとしか書けない限界の文章だったりする。こういう文章はとても美しい。書き手が人間として息づいているのを感じる。
当然、間違いを認めていくことも必要になる。人間は本性としてコミュニケーションをしている。これは自然史的な事実だし、かなり本質的な要件のひとつでもある。社会、イコール、コミュニケーションというのはとても乱暴だけど、ちょっと口に出してしまいたくもなる。もし文章を書いて、間違いを認めないとすれば、それはコミュニケーションの断絶だ。思考は自分を変えて行くことだし、もし自分を変えることを拒否するなら、それは思考停止で、そんな文章はなにも面白くない。
間違いを認めることと民主政と「「いき」の構造」とにも繋げて書こうかと思ったけど、また今度。
今日はマインドマップはない。