高校の参考書で基礎知識を固める

実家から東京に戻ってから断続的に高校生物の勉強をしていた。

ゼミノート 生物IB (自分で作る参考書)

ゼミノート 生物IB (自分で作る参考書)

いうまでもなく私は大学院の博士課程2年に在籍している。専攻は生物学である。生物学の大学院生が、高校生物を勉強するというのはたいてい奇妙に思われる。私も思う。学における論理と知識の習得は段階的に高度化していく。そこを押しのけて高校生物の勉強をしたのは私が高校生物をやっていないからである。コンプレックスを持っている。生物学を専攻しはじめてもう6年目なのだけれど、高校時代に生物を勉強していた人とは4年ほども差がついている。ただ、最先端の研究をするという点からすればその差は余り大きくなかった。
むしろこの高校生物の勉強をしていて「ああ! 俺は何と無知を晒してたんだろう」と赤面することが多かった。凄く多い。自分はいい加減なことばかり言ってきたと思う。ビギナーズラックとか言うレベルの話ではない。お前基礎知識ぐらい勉強してこいよと私は4、5年前の自分に言いたい。実はその頃高校生物を勉強したのはこれである。
歌う生物学 必修編

歌う生物学 必修編

これはこれでなかなかアホクサくて今でも好きだ。高校生物の課程で出てくる重要タームが歌になっている。上述のゼミノートを埋めている時でも「歌う生物学」の中の歌が頭に流れてきた。単語を頭に刻み込むには良い。しかし、ターム同士の論理を構築するのは歌では不十分であった。
ここで私が使ったゼミノート生物IBを題材に教科書・参考書・問題集というモノの意義とは何か考えた。通俗書や一般啓蒙書でよくある「楽しく学ぶ」や「面白い」「ゲーム感覚の」という書籍に対して教科書・参考書・問題集が持つ長所は「つまらないことも書いてある」事だと思う。或る学の枠組み全体を看取るというのは基本的には全体として楽しいことなのだけれど、細部をみるととてもうんざりすることもある。ゼミノート生物IBにしたって、学部3年の頃からやりはじめて、穴埋めの項目を全部埋めるのに断続的にやってて結局いま終わった。もう論文童貞まで切っちゃってるじゃん。それでもやって良かったと感じる。やる必要があった。当然である。