C.S.パースというシャーロック・ホームズ

ホームズはぜんぜん読んでいないけれど、この本はとても面白かった。紹介してくれたid:leibniz(@monado)に感謝。

  1. アブダクション: シャーロック・ホームズの推理は、C.S.パースの言うところのアブダクションである。因果関係を把握するために、結果を見てその原因を仮説する。
    • パース自身も捕り物的な逸話がある。豪華客船で黒人の船員に上着と時計を盗まれたので取り戻した、という話である。話のクライマックスで単身強硬手段に出て「きっかり12分で戻って来る」くだりは最高に爽快。ここだけでも是非読むべき。
    • ドイルがポオの影響下にある一方で、パースもポオの読者だったらしい
    • 「要するにホームズは、パースと同じで、方法が適用される個々の対象よりも、方法そのものの方に関心があるということだ。」p.65
  2. 科学: パースは科学者でありエンジニアでもあった。ホームズも化学実験をたしなんで、仮説形成の精度を維持していた
  3. 演劇: ホームズもパースも演劇的な人物だった

論理という感覚

id:extinx0109y:20080824で紹介した「新釈現代文」などでも書いてあったことと関連して、ここでも論理という感覚が中心にある。論理というのはきわめて感覚的な人間活動であるという意味のことが「新釈現代文」でも書いてあった。その論理の感覚というのを高田瑞穂はわざわざ「内面的運動感覚」という言葉でわかりにくくしてしまっているし、実際には非常に危うい捉え方や語彙であるのかもしれない。もうすこしかみ砕いて考えると、おそらく、論理が感覚であるというのはいわゆる五感とは違う。第六感と言っていいのかはわからない。ただ、類推して考えると論理というのは、加算的な知識とは異なり、感覚と同様に反復練習の中で調教されるしかない活動だといいたいのではないだろうか。
同様のことをパースも述べているようである。

パース自身も、彼言うところの「役に立つ論理(logica utens)」と「厳密な論理(logica docens)」とを区別していて、前者は簡単な論理感覚のこと、つまり誰もが或る種の真理に達するために使っている一般的な方法であるが、それを使っているとは意識されないし、その方法のよってたつ内容も明らかにされることがないのに対して、後者は論理学者や科学者(そして探偵や医者)の使う洗練された論理感覚で、この論理は意識的に教えることのできる、理論化された真理発見法であると述べている。しかし、科学者や論理学者はこの「厳密な論理」を自分で発明するわけではなく、自分たちも含めて誰もが日常の生活の中で使っている自然な論理を研究し、それを発展させるだけである。
p.66

いかさま

附録されている山口昌男の対談も面白かった。著者(の一人)は言う。

ごくごく率直に言わして貰いましょう。私はラカンというのはいかさま師であると思います。フランスで彼の列に従っている人たちは、盲人の行列に加わっているといえます。
p.166