フォーラム「ワトソンとスタイツが語る未来の生命科学」を聴講

ワトソンとスタイツが語る未来の生命科学に行った。
内容についてはほぼ「ワトソンとスタイツが語る、未来の生命科学 に行ってみた - 生々一歩」で尽きているのでことさらには書かない。*1
講堂内は飲食・撮影・録音・喫煙はご遠慮くださいと書いてありながら、隣のおっさんは写真を携帯でバカスカ撮っていた。やめろよ。音出てるだろ。恥って無いんだな。全員に参加票が配られるのだが、彼は「一般」の枠で入っていたので研究者ではなかった。私は彼の顔をちらちらと横目で見たが、どうしても、「○物と無○物のあいだ」」の著者の○岡○一に見えて仕方なかった。そんな顔のおっさんだった。ただ、彼の同時通訳機では日本語を聞いていたので、福○伸○ではない。福○はもう10年ぐらい前であろうけども米国で研究をしていたのだから、通訳なんて必要ないだろう。(追記:やっぱり福岡だと思う。)
そのうちその隣のおばはんも一緒になって撮り始めた。連れ合いではなさそうだった。仲がよろしいな。「ちょっと撮ってくださいますか」「ああぶれちゃった」「ぶれちゃったわねおほほ」おほほじゃねえ。撮るなってんだろ。
内容について言えば

  • 好奇心が満足することをしろ
  • 誰もやってない事をしろ
  • 日曜日もやれ。長期休暇はとっていい。要するに、根詰めてやれ
  • 教科書を書け
  • 一般書を書け
  • 政治家と仲良くしろ。官僚は近づけるな。

そういえばワトソンと言えば去年だか、優生思想をあらわにしちゃってフルボッコになったか。それで懲りたのか、そこまでは言ってはないけど、上でリンクしたまとめの最後の方、winnersとlosersってのは遺伝疾患=敗者という考えから出ている。
残念賞。
優生思想は科学ではなく一つのドグマ・一つのイデオロギーであり、価値判断を含んでいる。優生学は一つの価値が遺伝学・進化生物学と添い寝するときに生まれた奇形児だ。生物学は残念ながら優生学を枠組みとして否定し去ることはできない。ただ「科学は価値判断からはできるだけ自由であるべきだ」=「科学が依拠する価値判断はできるだけミニマルであるべきだ」ということができるのみである。
かつ、それで十分である。
質問カードによる質疑で私の質問も取り上げられた。

Q.研究は好奇心のみで進めていいものか。有用性をどの程度加味する必要があるか?
Watson: 好奇心に沿って進んで有用な研究ができれば、ラッキーだろう。たとえばがんの研究者は資金もあるし、生物学者としても関心のある分野でもある。まったく実際的でないテーマをどう研究していくかは問題として残り続けるだろう。
Steitz: 色々な研究分野で、全く実際的でないと思われてきたが何年も経ってから技術革新の核となった研究がある。その2つを区別するのは難しい。基礎研究を進めなければ、10年、20年先に新しい進歩をもたらすことはできない。

ああ面白そうな質問は誰も出さないな、出したら取り上げられるなというのが直観としてあった。私は質問というのは嫌いだからである。だから何を聞いてもいいと思った。ずいぶん昔に、細胞内共生説の推進者マーグリスのトークセッションを池袋ジュンク堂で聞いた時に知った事だが、マジパンピーばかりだし、たとえ学生でもパンピーとほとんど差がない。その直前にちょっと見た或る資料を念頭に、有用性と好奇心という二つの価値軸を敢えてTOEFL CBTのWritingセクションのようにジャッジしやすいように質問を出した。米国人である彼らは、そういう形式の質問に答えるように良く訓練されている。「学生は自炊すべきか、それとも外食か?」等々。だから質問がしやすい。
この答えをもっていかなる我々じしんの問いに対しても無条件の根拠とすることはできない。玉虫色の発言であることにかわりはないからだ。事前には決して正解がない。
答えがなければ、答えは作ってもいい。
If you don't have one, you can invent one. ---Voltaire
もちろん、作らなくてもいい

*1:生態学分類学については講演者らは触れていない。リンク先のoverspeculationだろうか。