レバレッジシリーズの本田直之氏は、よく名前を雑誌で見かけるので気になりました。どれか一冊と思って書店で見比べてみると、これが一番まとまっていそうだったので買って読みました。
人を出し抜く 超・仕事術 「レバレッジ思考」を20代でマスターせよ! (凄ビジ・シリーズ)
- 作者: 本田直之
- 出版社/メーカー: 主婦の友社
- 発売日: 2008/02/20
- メディア: 単行本
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ビジネス書を年に400冊
本田氏はビジネス書を年間四百冊読むそうです。これはスゴい。読む本がなくならないのでしょうか。
ただ、これは合理的な面もあります。たくさん読めば読むほど、たくさん読めるようになっていく。ゴミのようなビジネス書が大量にある中で、読んで得られる知識という観点から見れば1冊のゴミビジネス書は0.01冊に縮退します。
また、ビジネス書も非常に広い括りです。ハウツウだけではなく、業界研究レポート的なものも含まれるでしょう。ひょっとするとかなり経済学に踏み込んだ本もあるかもしれません。それは確かに有益でしょう。
私なら論文を一本読むとか。お恥ずかしながら、今年何本読んだのかという話です……聞かないでください…
世界遺産は何のため?
AERAで本田氏は世界遺産の勉強をしてブドウ農家との話がはずんだ、と書いてあったように思います。それはともかく、なんでこの人は世界遺産をいちいち覚えるんだろう、それを誇らしげに言うんだろう、と不思議に思っていました。
今回の本に書いてあったのは
- 好きだから
- 世界遺産は世界共通の話題
だそうです。これなら納得がいきます。「何かを教えられるような知識を持っていれば。話題ははずみ」、「これもまた、コントリビューションの一種」だというのです。本田氏は、自分の知識をもコントリビューションの観点から評価していることになります。
レバレッジシリーズを読んで世界遺産を勉強し始めた人は、まさかいないと思うのですが、この考え方はとても有益です。それで、私なら何があるかと考えたのですが、世界共通の話題になりそうなものは科学の知識ぐらいしか思い浮かびません。
マインドの高すぎる集団
本田氏の説く「マインドの高い人と交流しろ」というのは、私も思い当たる節があります。
いまも少し関わっている理学系研究科院生有志の集まり0to1もそうなんですが、大学に入って思ったのは、スゴい人たちはだいたいウラでつながっているんですね、七英雄みたいに。この子には勝てないなあ、あいつもずば抜けてるなあ、と思っていると、その人たちが昔からの知り合いだというのはよくありました。私などは彼らの話を聞きながら、うんうんとあいずちを打ったり、冗句を挟んでみたりして、ついて行くのが精一杯でしたが。そういうスゴい人たちはナンダカンダで博士課程に残っているのを見ると、もともと同じ志向だったのでしょう。
仕組みが既に確立されている
分子生物学の実験はねるねるねるねだ、と揶揄する人もあるようです。それは仕組みが確立されている、キット化された実験資材が売られているということです。それがイヤなら電顕でも蛍光顕微鏡でも、なんでも職人ワザの世界はあります。PCRひとつとっても、配列決定でも、職人ワザがあります。
目的地からの逆算でタスクを設定せよ、今日は何をして明日は何をするというような積み上げ式の思考をするな、と本田氏は説きます。
ここから私の作業を振り返ると、まさに積み上げ式です。私の作業とはBACライブラリからの染色体ウォーキングですが、「ウォーキング」なんて気楽なもんではない、秘境探検です。目的地があるかないかすら判然としない現況で、ときどき崖崩れで道は途切れている(次のクローンが見つからない)し、同じ所をぐるぐる歩く(タンデムリピート)こともあります。しかも、一点突破できるならいいのですが、こちとら四点同時攻撃の、ひとり比較ゲノム学プロジェクトが私の博士のテーマです。
此処にいたってようやく私は「ああ、探検家なんだ」という変な使命のような妄想が脳裏に浮かびました。
それから積み上げ式の思考をどうポジティブに解釈できるかと思案しました。ふと齋藤孝が自分の読書ゼミを「ここは(体育会系の)部活だから」と言ったのを思い出しました。「こりゃ部活だな、千本ノックだと思ってやるっきゃないな」、もちろん私は運動ができないので千本ノックなんてホントはできません。でも、このように思いこむことで、博士課程半ば過ぎの正念場を乗り切りたいと思います。
自分の言葉は持とうとしないかぎり絶対に持てない
人のつながりを広げる、言い換えればまったく未知の人と会って話をすることに苦手意識を持つ人は多く、私もそうです。
ちょっと立ち止まって考えてみましょう。人と話をするという行為は自分の話をすることと相手の話を聞くことの組み合わせなので、どちらかをすればいい。相手が話すのを聞いて、自分がそこで考えたことを話して共有する。聞きたいことがあれば礼をわきまえてぶつける。
もちろん黙っている時間もアリです。しかし上記のように、話をして楽しませるのも相手への貢献で、貢献はできるかぎり大きい方がよいとすると、目の前に相手がいて自分の話をしないのは目的合理的ではありません。
自分の話をして相手に一番貢献するのが、何かを「自分の言葉で語る」ことなのでしょう。言語という普遍的な活動を、極めて局所的な自分の言葉で組み立てていくところに、相手の息づかいを知り、自分の生を実感します。
人と話をするニガテ意識は、コトバの隔たりを、時には必要以上にイシキしすぎてしまうからではないか。しかし「自分の言葉は持とうとしないかぎり絶対に持てない」。その自分の言葉を他人との対面を通じて錬磨していくことが個人の価値というものでしょう。
私の今日の実践
さっき23時半にMさんのPNASの論文を読み始めて、日付が変わる前に読み終わりました。6ページなので短い。 id:min2-fly:20081125 にカコツケて言えば、たぶんディスカッションの最後の方に書いてあった話題は、きっともう進んでいるんでしょうね。