殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

MENU

遅ればせながらようやく梅田氏の問題意識が見えてきた

今更、またもや日本語滅亡論についてです。
今回の日本語騒動で引き金となった梅田氏のエントリは最初にネット上で話題になって、そこから新聞広告でもキャンペーンが張られることになった。しかも、不用意な発言のおまけ付き。
でも今思い返して、梅田氏は新書や"総合誌"の記事で誰に書いてきたか? それは中堅以下の若手社会人を励まして新しい社会のエヴァンジェリストたるためでありつつ、一方では上澄みだけちょろっと知った風な口を利きたいオッサンらの興味をちくりと刺激して、ネットのトレンドを教えていたわけです。
そのオッサンというので目していたのがおそらく旧態依然としたマスコミで、お前らが変わらん限りネットは良くならねえんだよカスが、と言いたかったのではないかと、新潮に載ったインタビューを読んで思いました。
「議論の叩き台に」というその議論の主語は、その旧態依然としたマスコミ連中なのだと。

新潮 2009年 01月号 [雑誌]

新潮 2009年 01月号 [雑誌]

これまでは全部がアメリカの2年遅れで日本にやってきた。インターネット、ブログ、SNSクラウド……そして社会そのものがインターネットとともに良い循環を形成している。それが何だ! 日本のネットはお互いの粒試合ばかりで、これじゃ2年どころか何年経っても良い循環になりゃしないだろう。オタクはむしろパブリックな意識をもって頑張っているほうだよ…
というのが梅田氏の意見でした。これは水村氏の嫌味な主張である日本文学云々ではなくして、もう思いっきり自分のイイタイコトに引きつけた話でした。
日本ネット文化の発展を阻害するオッサンたちの議論の叩き台にしたい。
そのために、オッサン諸君は日本語が亡びるときを読んで言語ナショナリズムを自覚しておけ。
これが私の理解した梅田氏の問題意識でした。

追記

一日考えてみると、梅田望夫という人物があらためて迫ってくるようになった。「新しい年上の人とは会わない」……オッサンに会うのをやめて若者に会うという行為の見え方が変わった。若者を認めるための行動という一面だけではなくて、若者の存在感(=ビジネスチャンス)を匂わせ、オッサンを揺さぶり(そしてちょっとは本も買わせて)ウェブを文化に構造的に組み込んだ社会の到来に備える。
新世界の神になる。