殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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アナロジーの限界

Action Potentials 「月の哲学者」について、気になることがあります。元のエントリがアーカイヴに落ちているので転載します。

たぶん6,7年くらい前のことかな、ぼくはウィスコンシン大学(理系の大学としてはなかなかいいところだ)で哲学のクラスを受けていた。そこではティーチング・アシスタントがデカルトについて説明をしていたのだけど、彼はものごとが必ずしも思った通りにはいかないということを示そうとして、次のように言ったのだ。「ペンを放せば地球ではいつもそれは下へ落ちるけれど、月では漂いだしてしまうだけだ」と。

ぼくは顎を落として、つい「なんだって?」と叫んでしまった。教室を見渡してみると、どうやらTAのその発言に驚いているのは友人のマークともう1人ほかの学生だけらしい。その他の17人はみんなぼくを「どうしたんだ、お前は」っていう顔で見ている。

「でも月でもペンは下に落ちるでしょ、ゆっくりとだけど。」ぼくは言ってみた。
「いーや、違うね」TAは落ち着き払って言う。「だって地球の重力からは離れすぎてるから。」

えーと、えーと...あっ、そうだ!「でも月でアポロの宇宙飛行士たちが歩き回るのは見たことあるでしょ? どうして彼らは漂いだしてしまわないのさ。」これにTAが答えて、「そりゃー、重いブーツを履いていたからだよ。」まったく理にかなっているかのようにそんなことを言う。(これが論理学のクラスをたくさん取ったはずの哲学のTAが言うことなんだから!)

どうやら彼とぼくとはまったく違った世界に住んでいるらしい。そして決してお互いの言葉がわかることはないのだ。初めてそう気づいたぼくは、そこで諦めることにした。教室を出るとき、マークは憤慨していた。「なんてこった! どうしたらあんなに大馬鹿になれるんだ?」

ぼくは努めて理解的にふるまった。「マーク、彼らもかつてはわかっていたんだよ。ただそれは彼らの世界の見方の一部ではなくなって、忘れてしまったのさ。たぶん多くの人間はおなじような間違いをしてしまうんだと思う。」そしてそのことを証明するために、ぼくらは寮に戻るとキャンパスの電話帳から適当に名前を選んで、30人に電話で以下の質問をしてみることにした。

1. あなたは月にいます。そこで握っているペンを放せば、それは a) 漂いだす b) そこで浮かんだまま c) 地面へ落ちる のどれでしょうか?

正解したのは約47%。間違えたひとたちにまた次の質問をしてみる。

2. アポロの宇宙飛行士が月を歩くのを見たことがあるでしょう。さて、どうして彼らは月面を歩けるのでしょうか?

この質問を聞いたとき、約20%がここで最初の答えを変えた。でもいちばん驚いたのは、それでも半分のひとが自信たっぷりにこう答えたときだった。「だって、重たいブーツを履いていたんでしょ?」

一番気になるのは、「月では重いブーツは落ちるのにペンはどこかに飛んでいく」間違いを説明するのを諦めて教室を出た2人が、憤慨冷めやらで片っ端から電話アンケートを始めるところです。電波少年的なノリですね。
ともかくニュートン力学からすればTAが間違っているのは確実なので、なんとかして説明しないといけない。ただしこのときの説明の仕方が間違っていた、足りなかったということです。

  • ペン→漂う
  • 重いブーツ→落ちる

というのが、万有引力の法則から統一的に説明できないといけない。TAは「月について」知識がなかったのではなく、「万有引力の法則について」知識がなかったと考え、それを、宇宙飛行士の靴のあとで付け加えるべきだった。
この作業では、もう一つ必要です。TAはどのようにしてこのように間違えるようになったのか? どういうイメージが頭の中にあるのか? もうおわかりのように、スペースシャトルや宇宙ステーションで作業する宇宙飛行士たちの姿を通じて、ペンが飛んでいくイメージが植え付けられます(フッサールの信憑の構造)。こうした経緯を説き明かして向き合わせることではじめて、TAは自分の誤りを認めることができるでしょう。
こうした分析は元のエントリが掲げられたときには即座に提出されたことでしょう。それぐらいには日本語のウェブもレベルは低くないだけですが、時間もたっておることです。日本語のウェブでは何よりもそうした知的水準の高さが、オープンになった場に現れていないということなのか。