殺シ屋鬼司令II

読書と研究について書いてきました。最近は万年筆で書く快感にひたっています。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

アンサング・ヒーローズ

はてブの注目エントリを眺めていたら徳富蘇峰 - Wikipediaがなぜか上がっていた。
蘇峰徳富猪一郎といえば、近世日本国民史である。この本は、数多の日本の歴史小説のタネ本らしい(といろいろな人が書いている)。史学的には黙殺されているらしい。でもたぶん読んでいる。学問的には暗黙のルールとして皆が言及せず、誰もが存在を知りながら、歴史小説家がちょっと拝借する。現物が手元にあるわけでもないし、付き合わせて比べたこともないから、その噂の真偽は明らかではない。
先日、書店に行くとこの本の中に近世日本国民史が紹介されているのを見かけた。

さて、今年はフッサールの「ブリタニカ草稿 (ちくま学芸文庫)」を読んで、「おお、なるほど、フッサールというのはデカルト2.0なんだな、現象学というのはとても電脳世界によく馴染む。本質看取=知覚というのは、コンピュータに入力デバイスでデータを入力することに近い。キーボードで文字を打ったり、デジカメで撮った写真を取り込んだり、マイクで録音したりすれば、電脳世界のなかではネットのプロトコルを介して拡散していくのと同じだな」と思った。このとき補助線に使ったのが「現象学は思考の原理である (ちくま新書)」だった。というより竹田のほうを読んで、還ってブリタニカ草稿と竹田の理解にくいちがいがないと見たのがもともとの流れである。
ブリタニカ草稿 (ちくま学芸文庫)

ブリタニカ草稿 (ちくま学芸文庫)

現象学は思考の原理である (ちくま新書)

現象学は思考の原理である (ちくま新書)

本を読んでいる折りから竹田というのはどうも専門の方からは黙殺されているようだというのは明らかにわかった。一方で、竹田で2chを検索すると、肯定的な意見が多くもある。もちろん工作員の可能性はある。哲学科の教授に聞いたら竹田の現象学はそれほど間違っているわけではないと言っていた、という、都市伝説的な書き込みまである。怪しい。でも、よく売れているようでもある。
もちろん黙殺されているから偉いというのでもなく、誰も言及しないので黙殺されているかのように見えても実は誰もが読んでいる(のではないか)という点で2人に共通点があると思った。