殺シ屋鬼司令II

読書と研究について書いてきました。最近は万年筆で書く快感にひたっています。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

ウェブでいっしょに本を読む

郷里に28日に帰省して、ほとんど実家にこもったままずっと本を読んでいる。
大学時代に買った本が1,000冊か2,000冊かある。恥ずかしいことに、ほとんど未読だ。開いてすらいない本もある。書評を読んで興味を持って買ってそのままといった本だ。小西甚一「日本文藝史」全5巻など、結構貴重な本もある。すべて私の将来のためにと親が蓄えておいてくれた貯金を私が食いつぶして買ってきた。馬鹿じゃないのか――
――そのとおりである。
実家に帰ってくるのは盆と正月、年に2回なので、読みたい本はその機会にキャリーカートに積んで埼玉に帰るか、親に連絡して小包で送ってもらうかする。それでも読まなかったりするから、始末がわるい。
せっかく帰ってきたので、この積読本の山……山脈……いや、大陸……を少しでも楽しもうと思って、片っ端から斜め読みすることにした。「フォトリーディング雑感」でも記したように、読書における内容のチートっていうのは意外と効く。書店で立ち読みしただけだけれど本当に頭がよくなる1分間勉強法に書いてあったように、右手で本をホールドして左手でパラッパラッとページをめくってみることにした。だいたい、一秒に一回めくっていく。
この方法のココロは、要するに家の中で立ち読みするということだ。変な話だ、と皆思うかもしれないけれど。
その効果はさておき、書棚に向かう自分が、これまでとは何か違うことに気がついた。
いろいろな本に、いろいろな誰かの存在が重なってみえる。それはたいてい著者ではなくて、その本を読んでいるとウェブで言っていた人たちだ。
「ルー・ガルー」は誰某が読んでいた。「レ・ミゼラブル」のユゴーは誰某の研究テーマだ。「論理学をつくる」を誰某がブログで精読していた。誰某は論文で「遊びと人間」に言及していたな。誰某はラディゲを読んでいるとtwitterで言っていた。「ハザール事典」を誰某は面白いと言っていた。等々。
先週末27日にもFMNAKAさん主催の本屋めぐり@OAZO丸善があって、何冊か本を買った。半年前、同じように本屋めぐりが池袋ジュンク堂で開催されたときに、「国際紛争―理論と歴史」はFMNAKAさんに薦められて買った。
先ほど読み終えた城山三郎男子の本懐 (新潮文庫)」にしても、以前に友人オカが読んだと言っていたのを覚えていて、27日に丸善で買ったものだ。読書が連鎖していく。
決して読書会のようなかたちにはなってないのだけれど、ここには「みんなで本を読む」という場ができてきている。本を読みあう場所から発する雰囲気を、自分の書棚から感じることができる。そうすると読書がすすむ。斜め読み・飛ばし読みがすすむ。その本を読んだ人とのつながりも太くなったように感じられる。
きのう友人が「何か課題書をきめてネットで同時多発的に書評するとおもろいんちゃうか」と言っていた。上で述べた感慨に近い。ただ、上の話はそこまでみんなの参加を要求するものではなくて、非常に個人的な読書体験同士が意図せずしておのづから共鳴していく感覚である。
かつてはたかだか数人の顔が浮かぶだけだった。それが、今年、2008年は以前よりも深くウェブに飛び込んでいったがために、もっと多くの人の顔が浮かぶようになった。