レッシグのコラムAgainst Transparency読んだよ

Lawrence Lessig Against Transparency | The New Republicは学術論文ではない、米論壇誌のコラムだ。「透明性に抗する」とか「透明化への疑問」とでもなるか。キーワードは「透明性transparency」のほか「関心持続期間attention-span」「信用性trustworthiness」の三つ。三行で要約する。

  1. 透明性:公正性fairnessが政治において一番重要なんだ、そのためには透明化transparencyが必要なんだ、という主張がかまびすしい。インターネットの発達と普及で、この主張は様々なレベルで具現化されてきている。
  2. 関心持続期間:けど、必ずしもその主張が正しいとは言えない。透明化は大事なデータだけでなく、本質的ではないデータまで引きずり出して大事なデータを埋もれさせる。もっと悪いことは、お金みたいな生々しいデータが横に並んでいると、そっちに目が行ってしまい、その時点でそれ以上の追求をしなくなってしまう。これが関心持続期間が終わる、ということ。お金で政治家の意見が変わることもあるのだけれど、それは検証がとても困難でグレーゾーン。検証・判断が困難なことに関わりすぎると本質を見落としてしまうのではないか?
  3. 信用性:これまでよく聞かれる主張では公正性を至上の価値に据えていたが、もっと重要なのが信用性だ。レッシグはCODEで既に「アーキテクチャでなく法で解決を定めていくことが民主制にとって決定的に重要だ」と言ってたはず。だから、たとえばお金が絡んでるんだと、(主にアーキテクチャを介して)全部暴こうというのではなく、(法・制度設計で)不正が生じないような仕組みを考えたほうがいいんじゃないか……

だいたいこんなことを言っていると思う。
関心持続期間が短くなるってのは要するに思考停止しやすいということだと思う。でも正直なところ、「本質を見落としてしまうのではないか」というのも、小咄(CODEでも紹介された、ホテルの監視カメラに男女が写っている……という話)で示してある以上に、もっと厳密な説明は(私は)読み取れなかった。読み落としたろうか。透明性がもたらすあからさまな「悪」は何なのか? ちょっと歯切れが悪かったように思えるのは、Against Transparencyだからなのか……というダジャレなのか。たぶん私の読解能力が低いせいだろう。どうか皆さん、私の見落としを指摘して下さい。