望んだものは手に入ったのか

気の休まらなくて本を読む暇もないとき、自分は一体何を望んでいたのか考える。シャワーを浴びている時が多い。
自己正当化の謗りを恐れずに言えば、望んだものはきちんと手に入ったのだろうと思う。望んだもののうち手に入ったものはあった。手に入れたいと幼い頃に望んだもので手に入らなかったものもあった。確かにそれはとても大きかった。しかし、よく考えてみれば、あれはむしろ「手に入れる」ようなありようのものではなかったのだと言えるし、更に言えば、「手に入れよう」としていたがために失ったものに違いない。
むしろ既に手に入ってしまったことの方が、事は大きいかもしれない。具体的には、価値観を共有する友人たちに出会い、彼/女らと話す生活に憧れていたと今では思う。かつてこのように明確に言葉にしたことは少なかった。信頼すべき人々の存在に、何よりも私は安堵する。
しかし、私はいま、博士号を「望まなければいけない」。