私が星占いをみる理由

私は生物学徒として科学・研究に第一の価値を置いている。そして、占いの結果を判断基準にすることはない。一喜一憂したりすることもない。
でも、星占いは見る。
それは、ネットが多い。どこぞの星占いRSSフィードを、Google Readerに登録してある。そして時々見る。あるいは、山手線の車内にある液晶画面に映っては消えてゆく、てんびん座の一日の運勢という奴を待ち構える。
あるタリーズでは、レジカウンターに十二星座のその日の運勢が一言ずつリストして垂らしてあった。これはコーヒーの待ち時間にとてもよかった。「ケアレスミスに注意」などと書いてあれば、ああ、そういえば実験でミスをしたな、とその日の我が身を振り返る。
そのとき、「星占いが当たった」と考えないことが大切だ。占いは一般には、どんな場合でも当てはまるかのように書いてあると思っている。バーナム効果である。だから、その運勢が当たったと感じるのは、認識における誤謬の最たるものだ。 Superstitious. 迷信深いと笑われても文句は言えないんだよ。
でも、そうではないのだ。私はこの星占いというものを、その日の我が身を反省するために見ている。三省の教えである。自分のミス、不思慮、あるいは報われた努力、思いがけない幸運。こうした日々のことどもを、一行の星占いで思い返す。
思えば幼い日、私は夜、風呂に浸かりながら、色々なことを思い出していた。学校であった嫌なこともすべてだ。いつからかその習慣は薄れていき、あまりまとまったことは考えなくなったけれど。
だから、星占いを見るのは、夕方や夜、一日の終わりだったりする。そうして反省し、時に後悔し、オッパッピー