長い茶番の後、昨年12月に自民党によって政権正常化が行われてもなお、民主党が政権を簒奪して行った「国政での事業仕分け」のことを未だに私は忘れてはいない。
多くの人がきっと忘れていると思う。
無理もない。
その後、もっと酷いことがあったからだ。
でも私は何度でもあの時のことを思い出している。
「事業仕分け」の設計思想
今にして思えばなのだが、私はあの熱狂の渦を眺めながら、時に悪態を吐きながら、なにか理解のできないことが存在していると思った。ひとがしきりに言うことばとは違う何かがその問題の根源になっていると。
私は科学者の側にあって眺めていた。私は基本的に「科学」という制度が人間にとって不可欠なものであるということを或る意味で「信仰」していたし、いまも変わらずそうであることを、告白する。
けれど、仮に「事業仕分け」という制度が正しいならば? というより、そもそもどういう設計思想で組み立てられているのか? というところから理解したかった。
そのときにいとぐちになったのは事業仕分けメモ - まとまり日記で紹介されていた、「行政の事業仕分け」を設計したシンクタンク「構想日本」のスライド([PDF] http://www.kosonippon.org/shiwake/about/pdf/0902detail.pdf )であった。
さらに私はその本質を探るべく構想日本の出した「事業仕分け」に関する本を求めて読んだ。
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- 「現場の人間」が
- 「根本から」
- 「単純な存否のみならず、どこに移管するかまで考え」るべき作業
だった。
上に引用したPDFのp.6を確認すれば、その方法が「もれなくダブりなく」という例のコンサル的モットーに非常に教科書的に準じた上で設計されているのがわかるだろう。
これがどのように機能するか。
日本というのは日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)がいう官僚民主主義だ。結局、官僚が設計した「ボキタチのかんがえたさいきょうの**せいど」を官僚が運営している。そこでは「ひずみ」が必ず出る。そのとき、現場からのフィードバックをもって正常化をはかろう……という仕組みとして見た時、「事業仕分け」という仕組みはとてもよく考えられていると思った。
- 作者: 飯尾潤
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国政の事業仕分けはハリボテ
その事業仕分けが、地方行政で行われていたのが国政に至ってなぜ突如発狂したのか。
国政において行われた「事業仕分け」に対しては逆に、一切肯定すべき要素を認められなくなった。方法論として合理的に構築された手法としての「事業仕分け」が、国政でのものにおいては損なわれているからである。
つまり、2009年秋に国政レベルで行われたときに、それは
- 「官僚」が
- 「表面的に」
- 「存否だけ」
議論するという、本来の設計理念を一切無視したような、三つの巨大な瑕疵を伴ってしまった。
そのなかで日本科学未来館は正しく「現場」の責任者である毛利氏により議論を進めた(行政刷新会議ワーキンググループ「事業仕分け」の結果について | 日本科学未来館 (Miraikan))。これは素晴らしいことだったと思う。
同時に、その頃、科学と社会の関係を問うという評論家どもがいくばくか現れたが、ほぼ見当違いのことを言い散らかしていったにすぎないことも理解されるだろう。そもそも国政での事業仕分けが「ガワ」だけ模したハリボテだ。それによって「あぶり出された」とかいういかなる問題も、有効な指摘ではありえようはずがない。
評論家らがいくら「科学者の説明責任!」などと言おうともそれはただのイジメ的パフォーマンスでしかなかったのである。