殺シ屋鬼司令II

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仮定法の使用頻度と学校英語での扱いのアンバランス

“I like dog.”と言ったら「えっ、犬の肉が好き!?」 ネイティブに通じない、間違いだらけのニッポン英語 | World Voiceプレミアム | ダイヤモンド・オンラインが話題になっていて私も目を通しました。
特に、仮定法に関しての話は、私自身が経験したことと近いものでした。また、完全に書き言葉を口から紡ぐ能力など、知性ということのありようを非常に率直に表現してあるとも思い、己の未熟を恥じました。
「日本人の英語」は自然科学系研究者でも読めるという評価を時折目にしますがむしろ逆であり、この名著は、はじめ雑誌「科学」に連載されていたものなのですから、まぎれもなく自然科学系のために書かれたものであり、また刊行当時(1988年)から自然科学系の需要は大きかったわけです。

日本人の英語 (岩波新書)

日本人の英語 (岩波新書)

この日記でも、仮定法については2007年に既に書いています。当時、中長期の在外研究経験は無かったものの、英語ネイティブスピーカーの共同研究者(パトさん)と1年強にわたって非常に近しく活動したことでにわかに実感したことでした。

パトさんと話していたころ、気がつくとはなしに思っていたのは、過去形の助動詞によくお目にかかることです。
would, should, could, mightのようなやつらです。
文法から語り起こせば、仮定法や時勢がからんできて複雑です。ただ、それも実際に使ってみることで、ある程度は感覚的に把握することができます。
パトさんの口からは、それこそぽんぽん出てきました。"Yeah... Could be."みたいな感じで使うんですが、これって日本語口語では、「あー、かもね」「っぽいね」「あっていいあっていい」のような感覚ではないのかと思います。
英語人たちが過去形助動詞を使うこと - 殺シ屋鬼司令

日常生活の不確実曖昧な言い回しとして、発語するうちの(体感)99%を占める仮定法は、学校英語では、なおざりにされてしまいます。受験英語文法ではほんのさわり程度にしか出ない「仮定法」は、会話の現場では洪水のように出てくるわけです。
受験英語での分量が少ない理由は、仮定法が自然言語に必須な曖昧さを担っているために、正誤のカチッとした、フォーマルな形での「問題」にしにくいから。学校英語・受験英語しかしてないと「試験しやすい範囲での」文法だけ教わるにすぎません。
ある程度、歳をとって、いろいろな本を読んで物事を考えるという日常を過ごしてきた人は、必ずや一度は「英語は論理的で、日本語はあいまいで非論理的だ」という「俗説」を耳にしたことが有るのではないでしょうか。もちろん、その反駁もうずたかくあります。しかし、お気づきのように、問題は決してその命題の是非ではないのです。
日本の中等・高等教育において「学校英語・英文法」しか勉強しなかったにすぎない人間たちにとって、そのような印象を与えてしまうような状況が発生するのはどういうことなのかと、発想を転換させなくてはいけません。

  1. 学校英文法の扱いの大きさが実地の使用頻度を反映しているとは決して思わないこと
  2. それでもなお、学校英文法にはほぼ十全な形で記載されているのだということ

したがって、受験英語を軽視するのではなくむしろ徹底して習得するのは方法として近道であるといえます。
もちろんその時に受験英語・学校英語を通じて習得する必要は必ずしもないけれど、いかなる方法で習得したにせよ学校英語をすっかりカバーされているようなありかたを目指すこと、が肝要であるということです。