当世積読者たちの憂鬱について

Kindle書籍のラインナップもずいぶん充実してきたようで、そのときどきに「読みたい」とおもった本が、体感でみっつに1つはKindleで読めるぐらいになってきた。
わたしは非常に熱心な積読者であったから、ここであらたな憂鬱に最近は身をやつしている。
すでに買ってしまってある未読の本が手元にないが読みたい。そしてKindleストアにあったとき買うか否か。
わたしは異邦にあるから、買った本であろうとなかろうと、紙の束の本で読む手段は、そこなわれている。
結論からいうとだいたい買う。いろいろ思案しながらも、買う。やはり本は読んでこそだ。
これは以前書いたことと表裏である。

気がノッて、いま読みたい!という時、関心が高まっているときに読むのが理解も深まりしかも速い。
Kindle書籍の安売りは「いま」読みたくて読む時間もあるのでなければ買わないほうがいい - 殺シ屋鬼司令

つまり「関心」自体がそもそも貴重である、ということだ。
本は既に日本の自宅に置いてある、それはわかっている。
しかし、今後帰国した時にそれが読みたいかは、決して保証はない。

紙束のものであれば積ん読の唯一の存在意義がある。絶版・品切対策である。
紙束の本は、「お金を稼げるようになってから買う」という戦略が無効だった。なぜなら数日で書店店頭から消えて品切絶版となることは日常茶飯事であり、「いま」買わなければ永久に巡り合えないことさえあったからである。
(同上)

いまその本を読まなければ二度といまほどの関心をその本に持たないかもしれない、という気魄で読むようになった。