研究職を考えたきっかけは「育英会」の奨学金

14歳の時に父が出奔して片親となり高校からは育英会奨学金をもらってはどうかということになった。育英会出願担当の女中学教師は妙に同情的な顔をこちらに向けて来、ほんとうに不快だったので殴りたくなったのを覚えている。
今から思えばこれが全ての発端だったと思う。この時一発お見舞いしていれば違う人生だっただろう。
そうはならず、以来高校3年学部4年修士2年の9年間に亘って無利子の奨学金を受給した。修士修了時に免除審査(支援機構奨学金を免除する優秀者を専攻が推薦する)があったが、私は選外となり、免除されなかった。結局、残ったのは研究者となって異邦にいる30歳のデクノボーだった。
最近私はのっぺりとした地平線の雲の遠近法を眺めながらなぜ自分が研究者になろうなどとそもそも考えたのかを自問することがあった。しかし、どうしても思い出せなかった。
奨学金のことを考えていると、それがわかった。
最初に、つまり、将来のことなど考える以前の中学の時に、奨学金を受給するという枠組みが既にできてしまっていた。
そのなかで、免除職という制度があり、教育職か研究職はそうであるというので選択肢としてそれらに考慮の余地が登場した。
さらに歳経ると専攻も決まり現実としての研究職を考慮し始めた。修士の時には企業の就職活動も試みたがうまくいかなかった。一方、研究の遂行は、どうにかできるんではないかという感触も持った。同時に、研究に対して資金的補助も出ることになった。これが博士課程に上がるか上がらないかの頃である。
さて何かがおかしい。何がおかしいかというと免除職がなくなっている。そのかわりに優秀者だけ免除で私は優秀者ではないとされた。しかし研究者にはなった。
つまりはじめは免除職としての研究職を考慮し、実際に研究職にはなった。しかしながら免除職が消失した。
ワタクシ史上最大のハシゴ外しがこちらになります。
しかし、とにかくは、研究職という職にはしがみついて生きている。
それでよしとすべき、か。
私はこれらのことに感謝も恨みもするのではなく、ただそういう個人史として問わず語りに書いた。
また、私と同様の境涯の高校生は従っていまや研究職は目指さないだろうと思う。それを批判するのでもない。
支援機構ではなく、「育英会」の奨学金の話であった。