細い道を辿る:『はじめての暗渠散歩』雑感

『はじめての暗渠散歩』という本を読んだ。

はじめての暗渠散歩 ──水のない水辺をあるく (ちくま文庫)

はじめての暗渠散歩 ──水のない水辺をあるく (ちくま文庫)

インターネットでも時々趣味としている人がいるらしい、都市の近代化・現代化の中で河川が蓋をされたり埋め立てられて道路や広場となる「暗渠」を観察するレジャーだ。文庫化されたのは近年人気らしい、テレビの街歩き番組の影響もあるのだろうか。

主に東京の暗渠だが、下町の濹東や谷根千藍染川ばかりでなく、渋谷川や武蔵野をめぐるものもある。神戸や大阪もある。京都は暗渠もあるが開渠もなかなか多いのか。

暗渠といえば裏路地で、家屋に背を向けられている、という。それとは逆の例なのだが、私の実家には自動車が通れない細い道が来ている。この道は幅が狭く、薄暗くジメッとしているのでなんとなく苦手な感覚が子供のときはあった。しかしこの道は、我が家を含む近隣の家屋から背を向けられているどころか、むしろ玄関がこれを向いている。そして、裏口がもっと広い道につながっているため、出入りは基本的に裏口からする。車も乗り入れてくる。玄関が開くのは仏事や式典に行くなどの諸行事の際だ。どうしてこういうことになっているのかなあというのは30年来の疑問だった。

一昨年に実家で、20年前に死んだ祖父が遺した大量の写真が出てきた。それを私はいい機会だと思って全部スキャンして眺めていた。この中に、今から40年以上前の、現在の実家家屋が建てられる様子をおさめたものがあった。柱組みの前で並ぶ祖母や伯父母らとその子どもたちから、瓦をぎこちなく持ち上げる若いロン毛でジーパンの父、家の裏山から撮った風景、家の前にある田んぼの畦道から撮った遠景。

田んぼからの遠景をもう一度違和感とともに見た。そして、実家の裏口にいま乗り入れている道が跡形もないことに気がついた。

私はそうして小さな集落のささやかな変化をようやく理解した。
つまり我が家にはもともと細い道しかつながっていなかった。いま裏口につながる広い道は、田んぼのほうにあとから引かれたもので、市街地のほうに向かっている。細い道は市街地から遠ざかっている。どこへ向かっているかといえば、それは「集落の」中心だった。つまり、寺であり、他の共同体メンバーである。集落が日常の基盤であった頃は、この道を歩いて通ることが生活の中心だったはずだ。私が幼いときは、祖父が下肥を汲んでこの細い道を通り、集落の中にある畑へと担いでいく姿を見た。

しかし田んぼの区画整理と道路の整備が進んで車道が開通した。これがだいたい40年前である。車道のおかげで集落のなかでも特に私の実家の近隣の数軒が市街地へ容易にアクセスできるようになった。それによって、かつては主要な生活路だった細い道が消えることはなかったが、しかしその意味は薄れていった。後に嫁いできたり(母である)、産まれたり(私である)したものにとっては、そもそもなぜこのような、「オモテ」である玄関が細く薄暗い道につながって、むしろ家の「ウラ」であるべき側が大きく開けている(もっとも北側なので少し日陰ではあった)のかはよくわからなかった。

この例は暗渠ではないけれども、都市の発展の中で要請される中で、川や水路が暗渠化されて「道」となり、人の通行にもかかわらず、なぜか家屋がそれに背(「ウラ」)を向けたままになる現象と、鏡像になっているように思える。