ラーメンの天使

さる9月1日に、ラーメンを食べることをやめることになった。
我慢するのでもなく禁止されたのでもなく、ただやめる。そう決めたから食べない。
自分の人生からひとつのカテゴリーが消滅する。そういうことはこの人生、ないわけではない。
人が死ねばその人とはもう話すことができないし、死ななくてももう会わない人もいる。
たとえばレバ刺しという食事は、消えてしまった。他の食材も消えてしまうかもしれない。
自分の人生、世界から、自分が食べるものとしてのラーメンが消える。これは、視点を変えれば、ラーメンの世界から、ラーメンを愛するひとりの男が消えたということになる。
私は生物学的に生きながら、ラーメンを天から眺める存在になった、と想像した。ラーメンの天使。
思えば2001年10月19日、18歳の誕生日、博多ラーメンチェーン店として名高い「一蘭」が、はじめて福岡県外に支店を作った日、福岡出身の友人に導かれて何人かで六本木に向かった日、自分のラーメン人生は始まったと感じている。
それから17年、いろいろラーメンを食べた。途中3年半の渡米中はラーメンを求めてスープを醤油と玉ねぎと豚バラ肉で自作したりもした。ボストンで夢を語ったこともある。最高だった。
そして今、職場近くで新規開店のラーメン店とそこに並ぶ人たちを見てこころに浮かんでくる気持ちは、嫉妬ではなく、祝福であった。
自分はたまたまラーメンの天使として地上を歩いているが、彼らはラーメンを愉しむことが許されている。なんと素晴らしいことだろう。彼らにもっとラーメンの祝福のあらんことを、と。
私は胸の前で親指と人差し指・中指を重ねて持ちあげ、顔の前を上下させる。
〈ラーメン〉(地上にとこしえのラーメンの祝福のあらんことを)。