渡辺佑基『進化の法則は北極のサメが知っていた』を読んだことと相分離について最近考えたこと

正直なところ、感想をどう表現したらいいのか今も決めあぐねたまま書評を書き始めている。フィールドワークの本かバイオロギングの本かと思いながら読み始めたら、名高い『ゾウの時間ネズミの時間』をアップデートするような理論も登場する。

フィールドワーク・紀行と理論、どちらに重点を置いて紹介したらいいのか、ためらっている。紀行と理論がこの本では相互に絡み合っているからである。どちらも面白いのだがどちらかに偏ってしまうと十全にこの本を紹介できる気がしないし、なによりも紀行と理論というのは、どこか自分の頭の中の活動として真逆の方向を向いている。こんなとき自分のことばは無力だと思う。

 

紀行文としては北極、南極、オーストラリア、バイカル湖へ地球を飛び回り、相手にするのも、誰もが知るホホジロザメかと思えば、初めて聞いたニシオンデンザメ(西、隠田、鮫)やアデリーペンギン、バイカルアザラシと、テンションの高い文章がこれでもかと続いていく。だんだん「進化の法則って一体なんだろう?」という最初の疑問が、どうでもよくなっていく。


もう少し図が多いとイメージしやすかったかもしれない。振りほどかれないように必死に想像力で食らいついていった。

 

イカルアザラシの話も論文が公刊されているということで、サプリメント(付録データ)にはひょっとするとムービーとして記録映像がアップロードされているのではないかと思い、調べてみた。やっぱりあった。


https://doi.org/10.1073/pnas.1216244110


この論文、Supporting informationのムービーの1番目が、紹介された結果になる。紹介されている通りの、ペンギンが海の中でバババババババババーッとオキアミを食べる様子が捉えられている。

 

パイプ式輸送ネットワーク(space-filling fractal networks of branching tubes)モデルは初めて知った。多細胞生物の話だろうとタカをくくって読んでいたら単細胞生物もおなじ式に乗るという。自己相似的……フラクタルとはまた懐かしい、昔聞いたことがある単語が出てきたものだと思った。


しらべてみると、総説が出てきた。


https://www.esa.org/history/Awards/papers/Brown_JH_MA.pdf

 

『北極のサメ』書が紹介した、代謝からの生態学の理論的統合が評価されて、提唱グループのリーダーであるジェームズ・ブラウンは米国生態学会の賞を受賞して、その時の記念論文らしい。


所属を眺めていると「サンタフェ研究所」と出てくる。なるほどと思う。誰でも知っている複雑系・カオス研究のメッカだ。そうであればフラクタルを口にするのも全く不思議ではない。


さて、私は主に単細胞生物を扱って研究をしてきたので、フラクタル分枝チューブモデルにおける単細胞生物とは何か思いを馳せると、やはり細胞の中の細胞骨格系のことに考えが向く。アクチンや微小管のような細胞骨格系の構築を、サイズと関連させているのだろうと想像した。


その当否はまたいずれあらためるとして、自己相似の重要性をようやく納得できるようになった気がした。


最近の分子生物学では「相分離」という概念が急速に注目されている。らしい。らしい、というのはわたしも同僚が話題にしていて初めて知ったからだ。相分離、生物学で問題になるのは特に「〈液-液〉相分離」ということになる……らしい。


あらゆる分子は、固体・液体・気体のどれかの状態をとっている。これが「相」だ。温度と圧力でどの相になるかが決まる。しかし相のはざまとなる条件では、複数の相がいっしょにあらわれる。ペットボトルの水は0°Cで凍る。このペット氷を机の上に置いておくとだんだん溶ける。でも、この氷の入った水は、氷が溶けきるまでは、0°Cである。つまり、0°Cでこの水は固相と液相が同時に存在している。これも相分離だ。固体と液体の相分離なので、〈固-液〉相分離と……いうことになるのだろう。

 

正直、専門外すぎて自信がないが、先を続ける。

 

それで、生物細胞内の分子の挙動では液-液相分離である、として、それは一体何か。


生化学に明るい同僚に、「で、相分離て、なんなんですか?」と聞いた。彼は「わかんないですけど……」と前置いて、説明を続けた。

「ちょっとこんなことを考えてるんですよね。とりあえず、溶液の中で分子の濃度を上げていくんですよね。どんどん分子を濃くしていく。例えばシオだったらどんどん濃くしていくと溶液の濃度は一様に高くなるわけです。そうやって濃くしていくとある濃度で飽和して析出してきて、それが飽和溶液ですよね。でも、生体高分子にはそうじゃなく、飽和に達しなくても凝集するものがあるわけですよ」

「うん、そうですね」

「そういう高分子溶液は、いわば、溶液全体の濃度と、凝集体の近傍の濃度とに差があるわけですよね」

「ああー! そうだ。そうか、だからグローバルな濃度を上げていったときに、ローカルな濃度の分布にばらつきが出るんだ。シオだとそうじゃなくてグローバルな濃度=ローカルな濃度だけど、凝集するような生体高分子だとかならずしもグローバルな濃度がローカルな濃度そのままにならないんだな。そういう分散が高いような状態になることを相分離と考えたらいいのか……なるほど、相分離を完全に理解した」

「よかったですね(ニッコリ)」


正直そうやってあらましがわかってみる(わかったのかどうかはわからないが)と、「なにがそんなに新しいのか?」と思った。細胞の中で、互いに親和性の高いタンパク質分子同士がひきよせられ凝集するということは、自明のこととして教えられ、考えてきた、ような気がする。これまでの研究の中で誰もが何となく想像していた細胞内の分子の挙動が、物理化学的に定式化された概念を導入することによってあらためて大きなムーブメントになっているのだということだと思う。


それはともかく、このグローバルとローカルの違いということを聞いたときに思い出したのは、フラクタル図形だった。いや、よく考えてみたら「逆」、つまりフラクタル図形は、ミクロな図形がマクロな図形と相似だというのだが、相分離現象でいうところはローカルな濃度がグローバルな濃度と異なるということである。しかし、グローバル(マクロ)とローカル(ミクロ)を対比させて考えることが重要になるという点では自分にはとても近いように思われた。形態と濃度という、概念の性質どうしの違いなのかもしれない。