殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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SFは本来かなりナショナルなものか

「三体」シリーズを読み進めている

非常に長い小説だが読み始めると止まらない。

いま、『三体III 下巻』を読んでいる。


シリーズとしてはこれが最終となっている。

もうすこしだ。

週末に読み終わるだろう。

そもそも読者がなければたちゆかない

「三体」シリーズを読み進めて思ったのは、1冊目の『三体』からすでに「なるほど、中国人は自分たちのイメージをこうやって持ってるんだな」ということがわかる。

また、群衆はこうやって動くものなんだ、というモデルが共有されているようにも思う。

群衆たちはあれこれのイベントが起こるたびに、群衆は右往左往して、ときに過激な行動に出る

そこで出てくるのは、なにか中国史を聞きかじるときにうかがえる「特異さ」に通じている。

いうなれば、その最初の国で「ウケ」ないといけない。

こういう描写から、中国人の自意識といったものが透けて見えるように思った。

自分にとってSFといえば米国のものか、母語という点からも日本発か

SFはそれほど読んだわけではないが、中国のSFを読んだことで、「本来、SFというのは元来、読者の意識を如実に反映るんだな」ということもわかってきた。