殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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Video killed the radio star, YouTube killed professors

最近のニュースで京大がMOOCsが閉店するというので話題になっていた。
京大の“無料講義”が存続危機 センター長「教育資産の損失は計り知れない」 | 国内 | ABEMA TIMES
私は批判も驚きも悲しみもない。鳴り物入りでもてはやされたMOOCsの幻想は正直終わったんだと思う。MOOCsによっては修了証とかあるのかもしれないが、たとえ修了証が出るとしてもそのペライチに何の価値があるのか主張できなかったのだろうと想像する。高等教育には好奇心の発露充足とキャリアビルディングのような、理念的に結びつけて考えられることがあるとしても基本的には別個の目的が存在している*1。好奇心の充足も、野良・勝手非常勤講師として日々鎬を削る三千世界のYoutuberの前になすすべもなかったのだろう、と。いまもうあらゆることにようつべありますからね。ちょっと知りたいことは全部。マカロンの作り方だの観葉植物の植え替えだの取り木だの。結局、本を読む、なんで読むかって言うと、映像にして上げ膳据え膳してもらわんだらわからんヤツと、本からわかるヤツと、どっちがより多く稼げるかって、本やろJK、ってのが我々の常識なんですけど、これがいまはもう、知識の方が(映像になって)来い、来ん知識はいらん、というスタンスなんでしょうね。で実際それでだいぶナントカなってしまうし。ていうのは、野良というか勝手非常勤講師=Youtuberが少しでも映像にするネタを探してしのぎを削ってる。あらゆる細かいネタを動画にしている。それでシケモクみたいな、ハナクソほどの広告料をどれだけ拾えるかってところなんかもしれない(相場がわからない)。しょうもないっちゃしょうもない。正直俺自身は今のようつべのある世界と前とでは断然今のほうがいいですけど、大学教員としては結局は単位と権威で叩くしかない部分もあるんだろう。結局は、自分の権威主義を教員側が逃げずに引き受けるかどうかになってくるんやろうなと。問題は、野良・勝手なのに正しいわかりやすいおもしろい、って勢力に対してどう大学教員が向き合うかという絶望的な問題があるんじゃないかと思う。ウソだとか疑似科学だったらまだ、ちゃんと叩けるぶんマシでさえあるのかもしれない(よくはない)。そして結局、大学教員はなんで毎年ほぼほぼ同じ内容の講義をライブでやるのか、という本質的な質問に帰着し、その答えはとりもなおさず、その知識を実際に研究の現場で使ってる血のかよった人間が教えるにしくはあるまいに、というアジであり、なんで講義をする職に研究業績が求められているのかというおおもとの疑問に、結びつく。

*1:もちろん他にもある。例えば教育それ自体の維持というものまであるがこれは好奇心にもキャリアを有する個人には「それ、僕に関係ある?」でしかないものだろう。