妻が書店に行きたい、といっていた。すっかり電子書籍で行きたいと思っているわたしは「えぇ……」と思ってしまう。かくいうわたしも、日本にいるうちは毎日書店が散歩コースになっていて、一日に1回以上、近所の書店を訪れていた。
そんな折に、バーンズ・アンド・ノーブル(BN社)の社長が交替して巻き返しを図っているのだ、という。BN社は米国最大手の書店チェーンである。日本でいうところの丸善ジュンク堂書店グループのようなものだと考えてもらえればいい。
1998-9頃にネットを使い始めたわたしは、BN社がその頃すでにAmazonとバトってる姿勢を見せていたことをいまでも鮮明に覚えている。ただ当時から、どう考えても無理な戦いだと思っていた。実際に惨敗を20年以上続けたという記事だ。
そういう「戦い」じゃない、と思っていた。それは勝てない戦いである、と。
近い業種でレンタルビデオ屋の最大手だったブロックバスターは2010年代前半に倒産してる。
しかし、それでも20年強、BN社はなんだかんだ生き残った。驚きだ。わたしの見込みもその程度でしかなかったわけだ。
本にはフェティシズムがある。フェティシズムだけじゃなく実店舗の強みは結構少なくない。
書店は書店というかたちで表現して実現できることがある。それは残っている。
話題になっていることでもあるし、妻もわたしも書店にいきたいから行ってみようと思った。おあつらえむきに、車で15分のところにある、ショッピングセンターのなかにあった。
そこはわたしたちの家の方向とは書店と逆側にひろがる大学街からすこし来たところでもあって、客はかなり多かったし、レジにもひとが並んでいた。
広さをどう表現したらいいだろうか? オアゾ丸善の3階部分全体かその7割分くらいかというところだろうか。地方都市の書店としては標準か広めである。
ハードカバーの本が多い。全体的に本は高い。
知っているひとは多いと思うが、そもそも日本でひときわめだつ文庫や新書という形式*1は、米国ではほとんどみられないといってさしつかえない。ペーパーバックも単なる文庫版ということではない。
わたしたちは土曜の午後にBNに初めて行って何も買わずに帰ってきたのだが、その夜に中を見た感想を語り合ったあとまた行きたくなり、日曜の午後には再訪していた。
「どうだった?」
「小説が多かったね」
「歴史も結構あった」
「自伝・伝記の棚もかなり大きかった。アメリカ人は伝記ものをすごく読むらしいね。ジョブズの伝記も超話題になったし」
「オバマ夫妻もそれぞれ自伝を出しているからね」
「コンピュータ系の本はほとんどなかったなあ。そりゃあそうだよな。そういう本を読むひとはそもそもネットで買うよね」
「ビジネス書も奥の方の隅っこのトイレの近くにちまっとあるだけだった」
「聖書が書店に入ってすぐの棚に一列あるのも特徴的だった」
「聖書用のマーカーとかまであったね」
「そんなのあった?」
「聖書の薄い紙でも裏写りしないんじゃないだろうか?」
そうやってはなしているうちに、BNを訪れるアメリカ人がなにを求めるのかなと思いを致していると、ひとつの像をむすび始めた。
この書店に訪れて本を探すということは、ながくつきあうような友人に出会うということに近そうだ、ということだ。
自伝・伝記を求めるというのはそこに描かれたひとの人生と束の間歩くこととダブって見える。小説を読むのも一枚一枚ストーリーをたぐっていくことになる。それは友人とどこかに出かけたり飯を食ったり話したりするようなことに似てくるように思われた。
本が高いのに本をなぜ買うのだろうと考えて、気がつくのは、そもそも本をあたらたくさん読むことそれ自体には、何の優位性もねえなこれ、と思う。
本をたくさん読むという名前のゲームをするひとは、ただ本を読むし、電子書籍で読んだりする。
しかし本を読んで本と睦み合うような生き方をするひとはいて、そういうひとがどうもこの書店に来ているような気もした。
わたしが買ったのは THE ELEMENTS OF STYLE (illustrated) だった。
Barnes and Nobleに行ってなんか買ってみたいなと思って結局買ったのがコレ(絵のないやつは持ってたけど持ってこなかった) pic.twitter.com/qzPOlkWVKJ
— 浜地 貴志 (@hamajit) 2023年1月9日
英語を書くひとで知らないひとはいないというハイパーロングセラーのフレコミの小著だが、そこに画家が挿絵をつけていて面白かった。
税込で20ドル程度になった。Amazonで買えば10ドルで配送されることも、実は懐中で調べてもいた。
そもそも別に新しい本ではない。ただ、この書店で本を買ってたのしむひとというのはどういう気持なのだろうということに興味があって、買った。
新しい本、話題の本を買うというだけではないなという直観から、紙で持ってみたいという本(そしてそこに当然なにか役立てたいというスケベ心もあり)のことを考えながら歩いていたらこの本がクローズアップされてきたのだった。