こういう記事を読んだ。
この3年でふたつのURに住んだ。URというのは昔は母体の都市再生機構が日本住宅公団とよばれていたので公団住宅とも言われていますね。
「団地」といわれている居住形態の、日本でもっとも広範に普及しているタイプの一つだと思います。
目次
団地は○○だ
住んでわかったけど(一つ目の京都でわかったけど)、これ基本的に「縦に積んだ長屋」なんですよね。
長屋ってのは、裏を生活排水等が流れていく。UR(団地)ではそれが縦になってる。
縦に積んだ長屋というのを一番実感するのは、朝洗面や手洗い(隠語)、夜入浴していると上階からやはり同じように流水が流れてくる音がするときですね。
その流水の程度からさまざまな想像力が鍛えられます。
その配管が、洗面所とか便所とかを貫通しているわけです。イヤでも長屋感を意識しないわけにはいかないのです。
URは〇〇だから最高
2年住まずに今の所も出ちゃうけど、自分が日本で住むならURで探す。
一番いいのは契約に保証人立てなくていいこと。親に連絡するのアホくさい。
ムラとマチの風呂事情をみる大枠
URと「銭湯」の関係とかも正しいかどうかはわからんけどぼんやり考えたりしてた。
前に住んでた巨大URである桃山南団地の至近は銭湯がなかった。駅でいって1つか2つ、具体的には中書島あたりまで行く必要があった。
伏見というのは古くからのマチだ。酒蔵がひしめき商人が往来した。
そしてマチに対するものとしてムラがある。
40年前は私の実家はまだ五右衛門風呂だった。
わたしの実家だけでなく地域で実際に見た範囲で五右衛門風呂にあったのは「ムラ」という共通性だった。
そこから「マチ」にはむしろ五右衛門風呂よりも銭湯があったのではないかというように考え始めた。焚き木や燃料をどう調達するかは決して些末な問題ではない。
結局五右衛門風呂を沸かすにはそばについてないといけない。マチなら銭湯があって一括して入浴できる。
いっぽう、ムラであればヤマがあって燃料が比較的豊富だろう。要するに、おじいさんはヤマへ柴刈に、の定型文のことだ。
小学校の頃に、うちの五右衛門風呂は、油を燃料にするユニットバスに建て替わった。その普請のあいだは郷里の銭湯に父が連れて行ってくれた。
そうした銭湯も平成年間にことごとくなくなった。側溝用水路の暗渠化に加えた平成年間の自分が記憶している遷移のひとつである。
かつてそうした用水路は車道の脇を柵もなく水を湛えていた。それが平成年間に、かなり徹底して、暗渠化された。多くはコンクリートで蓋されているものだ。
— 浜地 貴志 (@hamajit) 2022年5月11日
一方、江戸中期にはすでに人口100万人を越す過密都市であった江戸では、燃料や水の確保が難しく、また木造の長屋が密集していた為、頻繁に起きていた火事を防ぐためにも一般的にならなかった。
五右衛門風呂の歴史 -
ということで、江戸についてはそれなりに当を得ているかな。
だから、マチにとって内湯というのは40年前の当時はやはりひとつのあこがれだったのかもしれない。
公団住宅というのは大雑把に言って都市へと勤労する住民を維持するしくみだ。
しかも団地の場所というのはどちらかといえば都市の辺縁部=ムラに近い空間を転換して作られるものだが、その人口密度はすくなくとも夜間換算ではマチに匹敵することとなる。
そうなると、上述の燃料と近隣影響度の兼ね合いがモロに出てくる。
それを団地はバランス釜というソリューションで解決していた。バランス釜は現在では格差の象徴として描かれることもある。
時は流れて、ユニットバスのようなかたちで内湯は当然のことになった。むしろ、逆に銭湯やサウナのようなものが非日常のアミューズメントとして楽しまれている。
バランス釜と銭湯のイメージは逆転しているようにも見える。
2つのURに住んだ感想としてはバランス釜ということ自体には不満はないのだが、URの風呂場はユニットバスのように浴室スペースのなかにごちゃごちゃとした風呂釜のしつらえが内包されてしまっているため、掃除が大変難しい。
天井もどういうわけかボツボツとした突起が出ているタイプで、これがツルンとしていたらどれほど掃除しやすかっただろうといつも思う。
また、2つのどちらでも風呂場の窓に換気扇が設えられていなかったことで湿気が溜まりやすくカビやすいということもある。
そうした事情は、以前書いたコバエの問題とも直結する。
クラシックなUR住宅は前述の縦に積んだ長屋の構造というか、画一化・均一化した間取りをコンクリ造で実現しているため、浴室空間をミニマルなサイズでコンクリ打ちしてしまっており、ユニットバスにリフォームすることが激しく困難であるということが問題をややこしくしている。
ここがURの個人的な最大の難点だ。
団地といえば給水塔や受水槽だが
桃山南団地には立派な給水塔が各所の辺縁部に立っていてシンボルともいえた。
または、集合住宅の屋上に受水槽があったこともあるかもしれない。
そうしたものはどんどん不要となっている。
これは実は、送水技術の趨勢がどうやらおおむね90年代をさかいに大きく転換したことに起因するらしい。
それをわたしはこの本で読んだ。
90年代に何が起きたかと言うと、地上から水を送るポンプ、とりわけそれを構成する「モーター」の非常な技術革新だった。
モーターを構成する磁石自体の高性能化が普及したことと、モーターの挙動を細かく計算して制御することの合わせ技のおかげで、それ以前は困難だった高い階への直接給水のコストが急減(そしてポンプのサイズ自体も縮小)したようだ。
なお、同様にして、エレベーターのしくみもこの間に激変して、省スペースで高効率となり、巨大な機械室を据え付ける必要も軽減したらしいというのも同じ本で知った。
わたしは電験三種の勉強で読んだけれど、ふつうに現代社会をいきる人類にとって教養かなと思う。
元のTwitterスレッド
この3年でふたつのURに住んでわかったけど(一つ目でわかったけど)、これ基本的に「縦に積んだ長屋」なんですよね。長屋ってのは裏を生活排水等が流れていく。それが縦になってる。→32年前のUR団地に住み始めている https://t.co/US0i8gvskX
— 浜地 貴志 (@hamajit) 2022年10月16日