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抱っこのベストプラクティスのようなものをさがした
子供が産まれた日、出産に立ち会って、感染対策の観点から30分だけ一家3人での面会ができた。
そのとき、助産師さんから子供を受け取り、抱っこをした。
子供はすぐに大声で泣き始めた。
だからわたしは試しに、自分の体幹ごとゆらしてみた。
そうすると子供は安心したように泣き止んだ。
自分の行為が相手に通じたという感覚が目覚めた。
おっかなびっくりであった。
そのときの写真を妻が撮ってくれたのをみてもやはりそういう感じである。
それはすこしはずかしかった。
人類が地球に登場してから数百万年、こうした抱っこをつづけてきただろうと想像した。
すこしでも安定した抱っこや、すこしでもスムーズに安心と入眠にいざなえる抱っこのことを夢想した。
いくつかの育児書を流し読みしながら、抱っこのやりかたを物色していた。
しかしそういうものはなかった。
YouTubeでもさがしてみて、公開されている抱っこのやりかたを試したが、わが子にはあまりたいして変わりがなかった。
そのかわりに、どの本だったか忘れたが、安定した手の添え方や、ホールドのしかたを探してみましょう、とかかれていた。
アバウトなのだった。
数百万年やりつづけてもベストプラクティスみたいなものはないのかもしれない。
逆に避けるべきものはある
まずは、揺さぶられっ子症候群というものがある。
首すわり前の新生児を強く素早く揺らしてしまい、子供が脳震盪を起こしてしまうものだ。
また、当然、首や四肢のどこかだけを持つものは良くないというのはわかる。
不安定だというよりもまず全体重がかかってしまうので脱臼のおそれがあるだろう。
危険は子供だけのものではない。
親として負担がかかりづらいということも重要だ。
『子育てでカラダが限界なんですがどうすればいいですか?』という本がある。「子育てでカラダが限界なんですがどうすればいいですか? - おたまの日記」で知りました。
育児で無理な姿勢をしたりしないようにするためのからだのつかいかたを説く本だ。
たとえば、抱っこをするときに、腕を伸ばした状態から抱き上げるのではなく、体幹ごと子供に寄せたうえで抱きかかえて体幹ごと戻す、という動きが紹介されている。
こうした、加齢リスクにさらされつつある大人たちが決して軽くはない子供たちと向き合うときのコツのようなものはあるわけだ。
結論
正しい抱っこのやりかたなどというものはない。銀の弾丸のような抱っこはファンタジーなのだ。
間違ったやりかたはある。
およそ正しさなどというちっぽけなものではかれるほど育児は甘くない。
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