殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

MENU

【12/15までKindle 50%ポイント還元(実質半額)セール中】『毛 生命と進化の立役者』は細胞の運動と動物の進化をおしえてくれる


『毛』は、生物の「鞭毛・繊毛」の重要性としくみを解説しています。コンパクトな新書サイズで、生物学の最重要課題のひとつである「うごく」ためのソリューションをめぐってわかってきたことを知ると、とても驚くはずです。

生物がどういきているかには興味があるけれど、鞭毛・繊毛というものさえ意識したことがなかったというひとにはぜひおすすめです。そして、これまでに鞭毛をしっていたひとでも、わかってきたしくみと重要性をあわせてかんがえることで、生物の理解がいっそう深まり、そしてまた、最前線のあたらしい謎に到達することもできます。

この本をかいたのは、筑波大学の稲葉一男先生です。稲葉先生は、つくば市ではなく静岡県の下田が拠点です。海がちかく、海の生物を研究するためには最高の環境です。そうした海の生物の精子がもつ鞭毛を研究しています。

鞭毛・繊毛が発見されたのは400年前。細胞が水中を泳ぐために動かす、手のひらの1万分の1*1、数マイクロメートルの長さの「毛」でした。でもそれは、精巧すぎる謎のナノマシンで、いまだに完全に解明できていません。しかも、それがなくなると大変な病気になります。

つまり、生物がいきるというのがどういうことかを明らかにする(=基礎の)生物学だけでなく、わたしたちヒトが健康にいきるためにどうするかという医学の観点からも非常に重要な分野であるということです。

そして衝撃なのは、たんに細胞がうごくかどうかをこえて、繊毛と「脳」(中枢神経系)が関連しているかもしれないということです。

発生過程で脳をつくるのは「神経管」という構造ですが、この神経管の進化をたどっていくと、もともとは繊毛をうごかして水流をおこし口に餌をはこぶ動物の幼生の部位にいたるというのです。そして、現在でも動物の神経管は、なぜか繊毛のために必要なタンパク質が発現しているという点からも支持されるといいます。

植物学を専攻してきたわたしにはこの話題はおどろきでした。しかし、おちついてわたしはかんがえてみました。

そもそも、多細胞の動物が、感覚器官と運動器官を連携させるためのしくみとして中枢神経系が存在しています。そういう、あたらしい器官をつくりだすときは、なにかべつの器官を転用したりすることがおおい。とくに、AとBという器官どうしをつなぐようなXという器官が出現するとき、AかBのどちらかが肥大とか複製して転用する発生過程がみえます。というより、そもそも、動物の重要な感覚器官こそ、その鞭毛・繊毛を基礎としていたことまで、この本でわかるわけです。

つまり、真核生物の細胞が運動するために鞭毛はあった。しかし鞭毛をうごかすのをやめ、外界を「知覚」するために動物細胞はいつしかつかいはじめたというわけです。わたしの意見では、この本でえがかれるような鞭毛・繊毛の機能の多様性という見地から、動物という生物群がもつほんとうのイノベーションがみえます。本来は細胞をPという地点からQという地点まで水中を移動させるためにつかっていた鞭毛・繊毛を、動物は移動用途につかわないで、個体の外界の受容と、体内環境の構築のためにつかいはじめたのです。やっぱりこれは動物のもつおおきな特徴だな、と、生物全体をみわたしたときにきわだってきます。

じつは稲葉先生は以前わたしの指導教員が参画していた研究グループのメンバーで、定期的にひらかれた研究会でもご一緒することがありました。とはいえ、わたしはたんなる院生だったのでとおくから見ているだけだったのですが、この研究グループは有性生殖について動物・植物の垣根をこえて生物学全体からとりくむおもしろさを知った研究会でした。


鞭毛をうごかすことについては、稲葉先生の本でも言及されている、東大名誉教授の神谷律先生の『太古からの9+2構造――繊毛のふしぎ (岩波科学ライブラリー)』も必読です。

神谷先生たちもナノマシンである鞭毛の部品をあきらかにしてきましたが、神谷研の研究はとにかく透過型電子顕微鏡の写真がすごいのです。

なにがすごいかというと、鞭毛の「9+2構造」がはっきりとわかる。

「いや、わかんなきゃ論文にならないでしょう?」

はい。その鞭毛のサイズは、1マイクロメートルをきります。だから電子顕微鏡でないとみえないわけです。でも、そんなナノマシンを、金太郎飴みたいに輪切りにしたきれいな写真をさがすのは異常な根気が必要なはずなのです。

しかもその神谷研の研究というのは「ナノマシンの部品(タンパク質)が1種類たりないとうごかない」ということをしめすものです。部品が1種類足りなくなると「9+2構造」が「9+0構造」になったり「8+2構造」になったりします。それだけでうごかないのですが、それが電子顕微鏡ではっきりしめされるときれいです。

だから、大学院のときに神谷研の研究は自分の研究の模範としてありました。その神谷先生が10年前におかきになったのがその本です。

そうした鞭毛と繊毛の研究は、まだまだ途上であることが、稲葉先生の本でもわかります。この本を読むだけで無数の研究アイデアがでてきます。わたしでさえいくつも「あっ、こういう解析をしてみるとおもしろいかな」というアイデアがありました。そして、鞭毛は前述のように生物学からも医学からも重要な研究分野なので、その論文はまちがいなく注目されます。NatureとかScienceにふつうにのっているのが鞭毛・繊毛研究です。

いまなお謎でありつづけている鞭毛の起源

わたしはこの記事で、鞭毛・繊毛という装置をよぶのに、鞭毛とかきがちだということを気づいたかもしれません。

ひとつの理由は、鞭毛という名前に馴染みがあります。わたしが研究してきたクラミドモナスという緑藻にあるのは鞭毛です。

もうひとつの理由は、細胞が運動する装置の数がすくない場合(つまり鞭毛)のほうがもともとだったのではないかということです。

この鞭毛が、いつ出現したのか。『毛』にもある程度書かれていますが、真核生物(核という構造などを内側に持つ細胞)ができたときとほぼ同時だったことは、生物学者はだいたい意見が一致します。

ただ、それがどのように起きたのかは謎です。これは進化生物学のなかでもおおきい問題です。

ひとつの有名な仮説は、「鞭毛はスピロヘータの細胞内共生が起源」というマーギュリスの説です。

スピロヘータは、梅毒の病原体で、細菌です。マーギュリスは、真核生物にみられる細胞内の構造(オルガネラ)であるミトコンドリアが、細菌の共生(細胞内共生)によってできたことを生物学界に説得し納得させたひとです。

来日して講演したマーギュリスと(池袋ジュンク堂で、2005年)

彼女は、鞭毛という、やはり真核生物に特徴的な構造も、おなじように細胞内共生でできたのではないかと提唱したわけです。

二匹目のドジョウですね(ミトコンドリアだけでなく葉緑体もそうだとわかっているので、三匹目ですが)。

現代の生物学ではしかし、彼女のこの鞭毛共生由来説を受け入れているひとはほとんどいない。肯定する証拠が乏しいからです。

否定する根拠として「二重膜構造の不在」「独自ゲノムの不在」があげられることがおおい。これらの特徴はどちらも、ミトコンドリア葉緑体の双方でみられるものです。

ただ、この分野についてやはりあるていど不勉強なのですが、私見では、この2つの特徴がないからといって、鞭毛の共生由来を完全に否定する根拠としては論理的に薄弱と考えています。

現在認められている共生由来オルガネラ、ミトコンドリア葉緑体には、二重膜と独自ゲノムという構造的特徴だけでなく、機能としても「膜タンパク質を介した電子伝達」をする点で共通しているといえます。

実は、二重膜と独自ゲノムという構造的特徴は、電子伝達機能と密接に関連している、ということは見落とされがちだと思うのです。

鞭毛は一方で明らかに電子伝達をその中心的機能にしていません。つまり、膜とゲノムの両構造を喪失していても不思議ではない。

ではどう研究するか? 結局は、鞭毛装置に関するタンパク質の類似性から算出した系統解析で論じるのが近道です。そうした研究ががあるかどうか文献的に調べてないので不勉強といっているのです。逆にいえば、勉強する価値はあるし、研究のタネとしてじゅうぶん出るな(あわよくば科研費がかけるな)と思うのです(結構競争も激しそうですが)。

ひとつの手がかりになるだろうことは、近年海洋研究開発機構JAMSTEC)が発見したアスガルドアーキアです。真核の元になった原核生物の姿を伝えているというアスガルドアーキアが、鞭毛装置を持ってたのか、それとも(スピロヘータにかぎらなくても)外来の原核が持ってたのか(それはどの生物か)、という形で探索していくことができるかもしれない[要出典]。

私がいちど講演を聞いて記念写真を撮ってもらったという理由でマーギュリスの肩をもっているのではなく、ごくシンプルに論理的に考えていることです。

もうひとつ、不勉強、というか妄想にちかくおもうのは、鞭毛装置構築に必須な「基底小体」と、細胞分裂のほうででてくる「中心小体」の関連はどうなっているのかということです。どちらも微小管系の組織化をしているわけですが、これらの機能的な類似と、進化のうえでの関連とをたどりなおしてみたいなということが勉強のアジェンダとして自分にクローズアップされてきています。

つまり「真核生物の細胞分裂過程と、鞭毛の獲得は、関連があったりしないかな?」というアイデアです。

こうしたことは生物学者が日常的に発想するときに生物学者の発想することをかきくだしたものです。生物学者なら日常的にやっていることです。いいわけめいていえば、ひとりの生物学者が、「あっ、こういうことを分野外ながらちょっと勉強してみようかな」というときの、その分野への印象、あるいは勉強のためのロードマップみたいなものをかきだしたものです。

研究者は知らないことを知ろうとしている。それがたまたま、世界中の誰も知らないことだったり、歴史上の誰も知らないことだったりしたら、それは教育課程として組織されていませんから、必然的に独学たらざるをえません。

逆にいえばこうしたことを日々アジェンダとしてもちながら活動をしています。

そのときに、『毛』のように第一線を走ってきた研究者が書いた本というのは重要なみちしるべになります。

だから、研究アイデアをさがしている研究者にもこれらの本はおすすめできます。

*1:1万分の1とかくとかえってイメージしづらいかもしれません。2分の1にしていくと14回たらずです。もっとイメージしづらいかもしれません。