目次
子供の入眠に右往左往
4月頃、子供の寝かしつけをめぐってかなり消耗していました。
保育園通園、ならし保育がはじまり、妻も就職を控えて、子供の睡眠パターンを確立したいと思っていました。
しかし、当然、思うようにはいかなかった。
当時、寝かしつけは妻がやってくれていました。
母乳を与えると寝る、という寝かしつけの効果が強力だったからです。
母乳は、わたしにはどうしてもだせません。
その結果として妻への負担がたかまっていました。
わたしもそのぶんをとりかえすために、家事作業をやりましたが、寝かしつけというタスクはやはり大きかったのでしょう、妻のストレスが目に見えて蓄積していました。
また、寝かしつけにおいてあまり抱っこに依存することも望ましくないということを読みました。
それは、たとえば保育園での昼寝などには自発的に入眠できるようになっていてほしいからでした。
つまり、わたしのもつ唯一の手段がつかえないということでした。
限界がちかづいていました。
これはもたない、なんとかしなくてはいけない、ということから、方策をかんがえました。
ねんねトレーニングの本
「ねんねトレーニング」略して「ねんトレ」の存在は以前から知っていました。
ただ、そのイメージはかならずしもよくありませんでした。
入眠前に子供が泣き叫んでも心を鬼にして寝るまで放置する、という印象でした。
また、分刻みでルーティーンをこなす、という「細かい」という印象もありました。
そうしたイメージは、妻から聞いていました。
しかし、まずは1冊、本を読んでみてかんがえようとわたしはおもいました。
それがこの本でした。
この本は、医者が書いています。
そして、典拠となる近年の研究を明示しています。
それだけでなく、著者自身の実体験も書いてありますから具体的です。
たとえば、「かわいそう」という印象に対して、それがなぜ問題になるかといえば、子供の情緒が、成長してからよくないのではないか、というおそれだともいいかえることができます。
ねんトレの情緒への影響は、研究結果として明確に否定されているといいます。
仮にねんトレの過程で泣き叫ぶ時期があったとしても、別に、性格がヘンになるということはないということでしょう。
メソッドの個々のステップについてはかなり細かく書いてあります。
たとえば、絵本を読みきかせたり、ぬいぐるみを準備するなど、入眠のまえのルーティーンを確立する。
ひとりで寝かせる。
何分おきに様子を見る。
照明は、豆球もふくめてすべて消灯する。
ホワイトノイズを聞かせる。
そうした具体的なかたちで示してあります。
ねんトレと母乳
妻に対して、わたしはねんトレを参考にすることを提案しました。
寝かしつけをわたしも分担できるようにするために、それ以外に方策は思いつかないと。
わたしがねんトレの本を参考に寝かしつけてもいいとは言ってもらいました。
個人的には、ねんトレは誤解されていると感じました。
なにかカッチリきまったメソッドというよりも、入眠をいくつかのプロセスとして捉え、ひとつひとつていねいに進行していくといういいかたのほうがあたっています。
たとえば子供部屋でひとりで寝かせるというのは確かにメソッドとして提示されているのですが、それは金科玉条ではありません。
親子が同室で寝ている場合も、メソッドをアレンジする考え方がかいてあります。
これがプロセスとして捉えるということです。
ひとつのプロセスが実現できなさそうであれば、別のプロセスで代替できないか、と。
妻にも参考になるかもしれないからと、ねんトレの本は置いておきました。
2ヶ月、いまにいたるまで妻がねんトレの本を開いた形跡はありません。
わたし自身も、結局、ねんトレの本のとおりに寝かしつけているわけではまったくありません。
超いいかげんです。
この本の対象は生後0ヶ月の赤ちゃんからですが、ねんトレの具体的な開始タイミングとしては生後半年として書いてあります。
わたしたちの子供はすでに1歳3ヶ月を過ぎていました。
運が良かったのか、いまこの文章を書いているあいだもすやすやと寝ています。
妻もわたしもよく眠れるようになりました。
現在の入眠ルーティーン
いま、子供は、添い寝していると寝ます。
それまでのルーティーンは、お風呂あがりからはじまります。
まず、しずくを拭いて保湿をします。
つぎに鼻水を吸引します。
そして髪を乾かします。
ドライヤーの送風は子供の肌を刺激しないように弱くします。
余裕があるときは絵本を読み聞かせます。
『おやすみなさいのほん』です。
しかし、ぜんぜん聞いていないことが多い。
そして部屋を暗くします。
部屋の電気を消すのが最後でないと、絵本が読めません。
暗いところで絵本を読み聞かせるとわたしの目が悪くなります。
最後は「さあ、おやすみなさいだ。ごろんしよう。パパのまねをしよう」といって子供の布団をぽんぽんとたたき、隣の布団ではわたしが寝ころがります。
さらに「臨場感」をたかめるために、ホワイトノイズをかけるとよいといいます。
しかし、寝る前は寝室にiPhoneをもちこまないようにしているので、セルフホワイトノイズをかけます。
つまり、うそのいびきをかきます。
しかし、うそはまことになります。
つまり、わたしが先に寝るのです。
その間に風呂にはいっていた妻が寝室を覗き込むと、子供もわたしもどちらも寝ていることが多いようです。
だから妻の授乳なしで寝かしつけることができている。
じつはいまも寝付きがよくないときは、抱っこ紐に抱いて足踏みをすることもあります。
それでも、基本的には、暗くして横になっていると寝てくれます。
そして、ほぼ朝まで寝ています。
ただ、おそらくわたしに似たのですが、ものすごく早起きなところがあります。
5時に起きます。
それがわたしたちの一日のはじまりです。
卒乳は突然に
このルーティーンが構築できたあとも、子供は不安なときに、授乳をもとめて妻にだきついて胸を「バンバンバンバン」とはたくことが続きました。
4月ごろに話し合い、5月に卒乳・断乳を予定したものの、5月頭から子供と妻は風邪を引いて体調を崩しました。
断乳・卒乳は体調の良いときにするのがよいといわれています。
だから、体調が(双方の)戻るまで待とうということになりました。
しかし、ほんの数日前、完全に授乳せずに過ぎた日がありました。
そして次の日も、授乳しませんでした。
1年と5ヶ月でした。
あっけなく授乳はおわりました。
おそらく、ねんトレを参考にして寝かしつけた2ヶ月間で、徐々に、入眠と授乳のあいだのリンクが切れたのでしょう。
卒乳というと、あの手この手をしてどうにかこうにかということを覚悟していました。
しかし、何もありませんでした。
この数カ月間、不安な子供が妻の母乳を求めて胸をはたいていたのはもう、見ることはできません。
2週間ほど前にほんの出来心で撮った動画が、その唯一の記録になりました。
子供は成長し、次々にさまざまなものを置き去りにしていく。
先日は、戸棚から海苔を出すと、ケースの後ろで何かが倒れました。
覗き込むと、哺乳瓶でした。
半年前までは毎日使っていた哺乳瓶、ガラス2本とプラ1本はすでに、完全に沈黙している。
なにかそうした文脈をかなしさとともに語る例をみたことがあるが、むしろわたしはそのとき、素直に感謝だった。
それでもさすがに、妻の胸をはたき続ける子供の姿を思い起こすとき、わたしの胸にこみあげるものがあるのを感じるのも確かです。
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