殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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ノーベル医学生理学賞をスヴァンテ・ペーボが受賞

解説することになった。

目次

スヴァンテ・ペーボは、ネアンデルタール人のゲノムを解読したグループの大ボス。このひとについてはだいたい3つぐらい覚えておくことがある。まず化石人類ゲノムの解読と現代人類との比較のインパクト。次にそれは「次世代」シーケンス技術の露払いでもあったこと。そして、いくばくかのゴシップだ。

何をやったか

ネアンデルタール人の化石からDNAを取り出して解読した。そしたら、現生人類にも部分的にネアンデルタール人のゲノムが残っている場合があった。つまり、ネアンデルタール人は現生人類の祖先と交配していたということがわかってしまった。

これは発表された当時、わりとみんな腰を抜かした。

どちらかといえばそれまでは、ネアンデルタール人は単純に現生人類に一方的に滅ぼされたと思われていたような印象がある。

我々の学部時代というのはちょうどネアンデルタール人ゲノムの前夜にあたるが、そういう口ぶりだった記憶がある。

それがそうじゃなかった。

こじんまりと暮らしていたネアンデルタール人は現生人類にボコられて滅んだと現代人は思い込んでいたわけだが、何らかのaffairsがあったらしい。

ただそのaffairsがどうだったかはいまも不明である。

この化石人骨の研究を実際に行っている方からコメントがあったので引用したい。

こうしたサンプル解析におけるクリーン環境の重要性は、「はやぶさ」などの回収サンプル解析のような宇宙探索でも大きいはずであった。

ひっくるめて、「異なる存在・世界とのコンタクト」で必然の問題といえるかもしれない。

個人的な萌えポイント

でそういう話はノーベル賞公式だの野良だのが手厚くしてくれると思うのだが、俺が個人的に萌えるのは次の技術的側面である。

要するに「次世代シーケンサー」が2005年に出た。この技術がネアンデルタール人というか化石から取り出したDNAを読むのにうってつけだったわけだ。

少しペーボのノーベル賞受賞に関連して、なんかひょっとすると役に立つかもしれないと思い、ちょうど去年のいまごろ行った講義の質疑応答スライドを引っ張っておく。ゲノムとDNA(と染色体と遺伝子)の違いをどう捉えるか。

ゲノムとDNAの違い


はげしく下世話な話になるが、化石人骨からゲノム配列を決定する作業ってのは要するに河原でガビガビになった漫画本を読もうとするのに近い。

大抵の化石人骨ってのはガビガビなのだがネアンデルタール人の人骨のガビガビっぷりというのは、ページそのものが無傷で残っていることなどなく、せいぜい漫画の一コマがまるっと残っていればもうけものという程度のガビガビっぷりで、そのままじゃ到底全体像はわからない。

これは細胞の中のDNAという分子が、本来の生きている細胞では数百万文字つながっているところが(これが染色体だ)、数十から数百の文字列でブチブチ切れているということを言っている。

こうやってブチブチ切れている分子を解読するために、2005年以前の方法では死ぬほど金がかかった。

そこに華々しく登場した「次世代」シーケンサーだ。カッコが付いている理由は後述する。

この454社のパイロシーケンシングという方法は、短いDNAを大量に読むならこれまでになく安く上がるという代物で、当時の多くの生物学者はたぶん「こんなもん何に使うねん」と思ったふしがある。

要するに河原でガビガビの漫画を見つけたひとというのはその漫画を読みたいわけだが、読めない。手元にあるのは大量の切れっ端。この切れっ端が多すぎる。これまでの方法では金・手間がかかりすぎる。

そこに華々しく登場した454は、そういうちっさい断片しか読めないぶん、おそろしく大量に読める。

その特性をよく理解していたペーボは454社と組んでその露払いのひとつを買って出た。

Until 454 Life Sciences’ development of the Genome Sequencer 20 System, sequencing the entire nuclear genome of ancient organisms therefore seemed impossible.
Neandertal Genome to be Deciphered | Max-Planck-Gesellschaft

「454以前は化石人類の核ゲノム配列なんて読めたもんじゃねえと思われていた」というわけだ。

ペーボの対抗馬は既存の方法で行き、そして、負けた。皮肉なことに、「次世代」としてもてはやされた454はその「次世代」の中では10年後には完全に時代遅れとなって既に消えた。

その次の世代(?)に当たるIlluminaは堂々現役だ。

Illuminaとその愉快な仲間たちのテクノロジーは何をしたかといえば、もっと短い配列をもっと多く・正確に・安く読めるようにしたものだったので、これはある意味で完全に勝ちパターンとして確立したり、逆に一分子シーケンサーなどあるが、そういう意味で「次世代」シーケンサーの到来を象徴する受賞として、わたしは捉えたいと思っている。

いま「次世代」っていうと「()」がつくので、一応「massively parallel sequencing」と総称されて、日本語では大規模超並列配列解読技術とかいうと思うがここまでくるとバカバカしくなってくるのでやっぱり次世代でいいんじゃねっていう気持ちも正直ある。

でゴシップは……

私の話は御本尊の書いた本『ネアンデルタール人は私たちと交配した (文春e-book)』 (文春e-book) を基本的になぞりつつ同時代の印象と思い出話を書いているだけですが、ゴシップも御本尊が自分で書いているところが驚く。

いちおうゴシップも少し触れておくと、ペーボが新しい研究所の所長になるということで、所属する教授(レベル)をいっぱい雇いますよ、ということで公募をかけたら世界中から当然応募してくるわけだが、そのペーボ傘下への応募者の中に、ある男ありけり。その妻というのがペーボの元同僚だった。

そしてペーボはその妻と恋に落ちた。

ちなみに、ペーボはそれまでのパートナーは全員が男性であったから、女性と恋に落ちたことに驚いた。

どうなったか?

応募してきたある男は、ペーボ傘下で採用された。

その妻は、その男と分かれて、ペーボと結婚した。

そこでこの本を読んだ読者が百人いるとしたらおよそサンオクニンほどが「は????????」となるのではないかと私は予想する。

私も敢えて言うが、このくだりを友人のT松君から聞いて「は?????????」となって読み始めたクチである。

わたしがスヴァンテ・ペーボという科学者について覚えていることはだいたい以上である。その後は「めっちゃいっぱい研究されてる」という印象だけがある。しかし、追いきれてない。いつか、あと10年か20年ぐらいして化石人骨研究が落ち着いたら、まとめて読みたいと思う。

研究とリスクと全ツッパ

さて同時代に大学院生とかポスドクのような地位にあった自分がその「次世代」技術の台頭のなかでどう立ち回ったかといえば、やっぱり全ツッパとは行かなかったんだよね。そこにペーボは全ツッパしていた。次世代技術というのは、丁半イチかバチかのリスクがあるので、ノるには胆力が要る。

たとえば自分の博士前後の研究も、次世代というビッグウェーブにノらなかったことで停滞したし、ノッたら一気に突破できたということから、若手研究者である院生・ポスドクがリスクを取っていくのは大事な部分があると思う。

博士課程前後の研究については最近講演の機会をいただき、公開もされている。


www.youtube.com


後悔とか愚痴になるが、自分が博士のときには今みたいに全ゲノムバンバン受託みたいな状況ではなかったけど、とはいえ、何らかの形で454へのアクセスは今から考えるとあったと思う。当時のボスからも「興味ある?」と聞かれて「いやーリード短すぎませんか?」と難色してしまった記憶はある。

そういうようにして「やらなかった理由」を探すのはむしろ容易いのだ。

結論から言えば私の博士課程の研究というのはゴニウムという藻類の全ゲノムを解読することで(4年間いた博士課程が終わってさらに5年後の)2016年に日の目を見た。全ゲノム解読がスタートしたのは博士課程終了直後の2011年だった。しかし、それ以前に全ゲノムを読み始めることはできなかったのか? とは自問した。そして、あとから考えればほぼすべてのパーツは揃っていたのだと思う。

当時私は東大の博士課程に在籍しつつ理研で研修生として研究していたので両方の機関へのリソースにアクセスがいちおう可能だった。DNAを抽出する手順も設備も整っており、別キャンパスの理研には454が配備されたという噂があり、DNAを文字列断片に変換するという操作は、ある意味で自分が「やりたい!」と手を挙げればできた。

しかし、断片が手に入っても、それを利用しやすいまとまりにつなぎあわせるのは容易ではない。本で言えば、ページの切れ端を何ページかの束までにまとめることだ。これは相当巨大な計算機資源が必要となる。そんなものどこにいけばあるんだ?

それは東大にスパコンがあったし普通に利用申請をしてアカウントも持っていた。

もちろん資源があるからといってプログラムを書いて走らせるのとは別問題だが、それこそ、博士課程における難題に対する自力でのタックルというものだっただろう。やればよかったのだと。

そういうわけで私は全ツッパせずに、その後さまざまなご支援があって日の目をみたから良かったものの、自分の来し方を振り返ってやはり反省はある。

そこが未来を見ることができているかどうかかなとも今にしても思うが、そういうことは詮無い部分もあるとも思う。

現場からは以上です。

興味を持ったら御本尊の本も是非読んでみてください。

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