殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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いまならあたらしい感覚でピアノを練習できそうな気がする

目次

妻と電子ピアノ売り場をみていた

先日、子供を抱っこ紐で抱えたまま、妻と駅ビルをウィンドウショッピングしていた。

楽器店で妻が、みてみよう、といった。

いいね、といって、店に入った。

電子ピアノが何台も置かれていて、数万円から30万円程度まであった。

この値段の違いはなんなんですか、と妻は店員にきいた。

店員が子供の早期教育に意識のたかい親子連れの潜在的顧客であるとパターン=認識をおこなったのが、わたしにはわかった。

鍵盤の材質が中心です、と店員は言った。

すぐに買うわけではなく、ぐるっとほかの楽器をみてまわり、リコーダーやウクレレをながめて出た。

妻も、ピアノをすこしだけ習っていたことがあるという。

しかし、弾けるわけではないので、機会があればまた練習したいそうだ。

その希望をかなえるためには、ピアノを買わざるを得ないであろう。

わたしも実際の電子ピアノをながめながら、いまならもっと積極的に練習できるだろうとおもいはじめた。

わたしがピアノ教室がよいをやめてから25年以上が経過した。

むかしピアノをならっていたが

小学校のとき、ピアノ教室にかよっていた。

週に1度、土曜日に放課後に、市街地のピアノ教室にいった。

あれはたしか午後だった。

小学校1年生から中学校の1年生か2年生までかよった、とおもう。

初等的な教本としてはバイエルが有名かとおもうが、その教室はバイエルではなかった。

たしかヤマハの教室ということになったのではないだろうか。

なにをめざしてピアノにかよっていたのかあまりおぼえていない。

ピアニストになろうとか、あるいは、もちろん脳トレのようなものを企図していたわけではないとおもう。

それ以前に、音楽にたいする感受性もそれほどたかいわけではなかった。

おそらくであるが、週に1度おでかけして、ときどき(いつだったか経営者が夜逃げしてつぶれてしまった)おもちゃ屋さんでSDガンダムをかってもらうことがたのしみだったのではないだろうか。

練習はまじめにやった記憶がない。

家には、親戚から巡回してきたと思うアップライトピアノがあった。

いまの自分からかんがえるとこのうえなく贅沢だ。

しかも、田舎の家なので、ピアノを弾くくらいでは近所に気兼ねをするほどでもなかった。

いうなれば練習もしほうだいだった。

なのに、練習をすすんでやった記憶がない。

毎日練習したという記憶がない。

家の隅の廊下に置かれていたのがたぶんよくなかった。

そもそもピアノにとってよくないだろう。

しかし、練習するほうとしても、そんなさむいところに、すきこのんでいきたくないのだ。

結局、中学校にあがってから、勉強だのなんだので忙しくなったことでやめてしまったのだとおもう。

ただ、最後のころは、当時プレイしていたファイナルファンタジーVのピアノアレンジ集を練習していた。

これは学校でひくと友人たちともりあがったので、すこしだけ練習にチカラをいれていた。

そのときには、もっとこうして興味のある曲をはやくから練習していればよかったな、とおもったことをおぼえている。

結果としていまでは、楽譜をみて、それが「楽譜である」ということはわかる。

どの音がどの鍵盤に該当するか、ト音記号とかヘ音記号であったりはかろうじてわかる。

しかし、たとえば、シャープやフラットがどれだけどうついているからこの曲はどんな調だとかはまったくわからない。

そうした覚え方をしていない。

意味として分節化されていない。
ただ譜面のとおりに指をうごかす練習だけをしていた、のだとおもう。

家での練習はしていなかったのにもかかわらず、先生からほめられたことがあると、母がおぼえていた。

「おしえたことをスポンジのように吸収しますね」と。

わたしはおぼえていない。

もういまではわたしの脳が干上がったスポンジのようになってしまったのかもしれない。

音・運指・音イメージの再マッピングをしたい

わたしがピアノをいま練習するとしたら、何をめざすか。

うまく弾けたらかっこいい。

ただ、それはどちらかというと二次的におもえる。

むしろ、鼻歌のようにピアノをつかえたら、という思いだなということに気がついた。

いろいろな勉強をしてきたが、結局勉強とは、認知と行動のあいだのマッピングを構築する過程だった。

本をひらけば要点をさがす。

数式があれば変形する。

筋トレであればひとつひとつの種目で筋肉のうごかしかたに習熟する。

そしてピアノであれば、楽譜をみて音をイメージすることと、イメージした音を指のうごきで表現することのそれぞれのマッピングの対であろう。

この視点が、小学校・中学校のときの自分には欠けていた。

いまであればこの視点をベースに訓練を最適化できるような気がしている。


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