殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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天に向かって流れる川・維管束

先週2回にわたって、生物が地球の陸上に進出したときのことをかんがえた。


thinkeroid.hateblo.jp
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陸上化初期のシナリオは、コケ植物であれ、地衣類であれ、結局は、水場から離れて継続的に繁栄することは難しかっただろうことを見てきた。たまに降雨のときに給水して光合成をおこなう、としても、そうした水が干上がったのちは、また休眠状態に入っていたと考えることが自然に思われる。


そこに満を持して登場したのが、維管束という水利システムを内蔵したシダ植物だったわけである。本シリーズで書いてきたようなことは以下の本に詳述されている。




維管束というのは水を吸い上げ葉に送り、葉での光合成で構築した栄養を逆に運ぶ、配管システムの名称だ。


葉をなぜ、水が希少な高い位置に持ち上げる必要があるか? とかんがえれば、それはいうまでもなく、光を他の葉よりも多く受けて集めて光合成をするためだ。植物はどれだけ二酸化炭素を多く固定し、グルコースなどに転換できるかという競争をしている。その競争において、他の植物個体よりも高い位置に葉を持ち上げることは決定的に有利になる。もちろん、高くなればなるほどそのコストは急上昇していくから、ほどほどのところで止まることになるのだが。


ここで重要な役割を果たすのが「リグニン」という物質である。


リグニンは、道管というパイプを作っている。パイプといえば樹脂製であれ金属製であれ、防水されて水が漏れなくなっているというイメージがあると思うが、道管も、リグニンで固めている。可塑的で、水路を構築するものであるから、セメントのようにイメージしていいと思う。鉄筋コンクリート造での鉄の芯がセルロースで、セメントがリグニンである。


そういった「土木技術」を手に入れたことで、維管束植物は、大地に立った。


それまでのすべての生物は結局のところ地に這うしかなかった。水を利用するために重力に逆らえなかった他の生物と異なり、維管束植物のなかで水は、重力に逆らうかのように、上を向いて流れていく。


いわば、維管束のなかの道管とは、「天に向かって流れる川」だった。


この表現で、それがどれだけ恐るべきことだったかわかるだろうか?


維管束植物以前は、地質学にあたえられた水系によりそって生物群集を構築するほかなかった。


維管束が完成するやいなや、植物は、あらがう力を手に入れた。地質学的な水系への引力と、重力、つまり万有引力そのものという、二重の意味での引力にあらがうことができるようになっていた。


とはいえ、根はまだ完成していないのだが、それでもこの維管束という土木技術によって植物が獲得した、大気中での3次元の自由は本質的に重大なイノベーションであったことがわかる。


このリグニンあってこそ、植物は大気中での立体機動を手に入れた。植物は地上を席巻し、広がりに広がって、大気中の二酸化炭素を固定しまくった結果、酸素濃度はぐんぐん上昇していった。しかもこのリグニンは、それまでの分解者たちには分解することができないオーパーツともいうべき物質で、長きにわたって分解もされず横たわったまま地上に放置された結果、化石となり、現在ニュースで話題にまでなっている石炭として残ったというのはいうまでもないだろう。石炭が蓄積されるのが止まるのは、このリグニンの分解者としての白色腐朽菌が登場するシーンだった。


ローマの皇帝カエサルが、いち将軍でしかなかったころに、ガリア地方(現在のフランス)を平定した。


その戦記をローマ本国に送っては、ひとびとによく読まれ、熱狂的な支持を獲得していったという。『ガリア戦記』である。この本は古典として現在まで読みつがれている。



この『ガリア戦記』を読んでみて、「来た・見た・勝った」で有名であるように、電撃戦は当然多用しているのだが、それ以上に印象的なのは、その電撃戦を可能にしていたのが、ほかでもない、土木技術だったということだ。


敵陣の目前に要害となる河川が存在して、だからこそ相手も安穏としている。


「ハハハハ! ローマ恐るるに足らず。来るなら来い!」という使者をカエサルに寄越したりする。完全に死亡フラグである。読んでいるほうが「(アカン……アカンて……)」と思ってしまう。


その河川にまたたく間に工兵を展開して架橋してしまい、一瞬で敵をブチのめしてしまう。それほどの戦略的アイテムとして土木技術は存在していた。もちろん、基本的には今も、である。


戦争という例を持ち出さないでも、真言密教を日本で打ち立てた弘法大師空海は、当然日本仏教史における天才であるが、彼が当時の中国に留学して、早々に仏教を学んでしまい、そのあと何を勉強していたかというと、土木技術だったと、歴史に造詣の深いかたから教わった。


つまり、空海は、当時の最先端技術のエンジニアとして帰ってきたということになる。


弘法大師が日本各地で井戸を整備したり治水したりしたという逸話には事欠かないが、そういう背景があったということを知るならば、むしろ自然な流れだったことがわかる。


ある意味では、仏教や僧侶という制度そのものが当時においてはそうしたテクノクラートの体系と不可分にあったといって差し支えないだろう。


土木技術は、現代に至るまで、人間社会の基幹テクノロジーである。



そしてそれは人類史以前、維管束植物の起源の時点ですでにそうであったということができるわけだ。




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