殺シ屋鬼司令II

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『生命とは何か』にみる生細胞の物質面・情報面・エネルギー面

引き続き、『生命とは何か』を読み直し、読み終えた。

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率直にいって、自分が知っていた以上のことはあまりなかった。



昨日すこし書いた、物質面・情報面・エネルギー面というのはわたしなりの補助線なのだが、要するに、生命はXXだ、というときの、XXに「物質」「情報」「エネルギー」をそれぞれ入れてみた時にどうかんがえられるかという話である。

生命は物質だ

まずあたりまえのことなのだが、生細胞はまごうことなく物質的基盤をもっている。いろいろな分子からできているし、その分子は原子からできている。

シュレーディンガーが露払いに明確にしたのはこの部分だ。

つまり、生細胞のサイズと、原子・分子とのサイズの差というのは、物理学法則として無理がないかどうかを最初に確認した。

それが、「原子はなぜそんなに小さいのか?」というクレバーな質問だった。

これは、「細胞は原子に対してなぜある程度大きいのか?」という問いの裏返しとしてある。

細胞が原子に対して十分大きくないと、細胞は原子のブラウン運動の影響を受けてしまってしっちゃかめっちゃかになってしまう。

ある程度大きいことで、そういう原子の動きを丸め込むことができて都合がいい。

でもここで問題が出てくる。

細胞の突然変異の挙動をあわせてみると、どう考えても、細胞のもつ遺伝情報というのは少ない。1細胞につき、1分子ないし、ひと桁程度の分子しか入っていないようだ。

これは紛れもないパラドックスなのではないか?

生命は情報だ

そういうわけで、シュレーディンガーは生細胞のもつ情報のありようを考察していく。

この本が20世紀の科学史で重要なのはいうまでもなくこの部分である。つまり、シュレーディンガーの言葉に発奮した20世紀半ばの物理学者たちが、こぞってDNAの立体構造決定や機能の解明に着手していった。それが、ワトソンとクリックのDNA二重らせん構造の提唱に象徴される一連の分子生物学の誕生に結びついたというのはあまりに有名な話である。

逆にいえば、この部分は、分子生物学の教科書を読んでいれば自明と思われた。

むしろ、時代的な制約を考えれば仕方のないことであるが、量子力学の語彙を持ち込むことでかえって混乱してしまうところがあった。

突然変異は量子飛躍であるというより、DNA配列の変化であるという方が現代の科学者には馴染みがある。量子飛躍ではないのか? と聞かれれば、それは、結局のところ、DNA分子の構築……つまり、原子と原子の繋がり方……が違っているわけだから、量子飛躍と解釈できないこともないではないが、それは何かこう、無用の混乱を招くだろう、ということである。

今回再読して思ったのは、シュレーディンガー量子力学を持ち出して説明していることはつまり、生細胞の現象は、化学結合のありようとして理解することができますよ、と、いうことだと言い換えられるように思われた。

そして実際、そうしたものとして、分子生物学が大成したことは、いうまでもないことだろう。

もうひとつ、量子力学と生細胞の繋がりに関連してシュレーディンガーは、量子論的な不確定性が生細胞の成立に重要な役割を及ぼしてはいないことも明言している(pp.171-2)。

生命はエネルギーだ

さて、ここを読みとこうとして、今回の再読を進めた。

結論からいうと、あまり気負ったほどのことは分からなかったといえる。

確かに、負のエントロピーというバズワードは持ち出しているのだが、結局、そういう負のエントロピーを具体的なメカニズムとして解明しているわけではない。せいぜいが、生物現象においてはエネルギーの授受があって、それによって「秩序から秩序」が生み出されるよ、という話をしているだけだ。

どちらかというと拍子抜けしてしまった部分がある。

そうなると、視点をあらためてかんがえてみないといけない。

おわりに

シュレーディンガーは『生命とは何か』のなかで、物質面と情報面の考察はうまくやったと思うけれど、エネルギー流の面ではあまり踏み込んでいない、と思う。

それを明らかにするには視点を変えてみる必要がある。

それにはやはり、例えばニック・レーン『生命、エネルギー、進化』の再読が必要になってくると思う。この本は、まさにそういう本として書かれているからだ。

数年前にこの本を読んだときとても面白かった。そして、結果、変な話をしていると思うかもしれないが、細胞とは膜に電圧がかかっていることだ、というイメージをもった。原核生物はいうまでもない。そしてここも通常の生物学の説明とはすこし離れてしまうが、真核生物でも、ミトコンドリアはそうしたオルガネラだし、葉緑体(色素体)だってそうだ。つまり、真核生物の細胞さえも、エネルギー的な中心はミトコンドリアにあるということだ。この言い方は、生物学の優等生にとってみると、受け入れ難いかもしれない。細胞の中心は、DNAであり、真核生物では核だ、というイメージは根強い。しかし、それは、今回の話で言うと、情報面のことだ。

情報かエネルギーか、どちらが大事だということではなく、両方の見方が真核細胞ではできる、と言うことである。そして、真核細胞においては、情報とエネルギーを(そしてそれ以外のさまざまな機能を)分けることこそがイノベーションだったということになるかもしれない。

今回の年末年始の課題、としたい。

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