殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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考え方はいつも無防備だ

アイディアを10倍生む考える力』を買い、パラパラとめくって、危惧をおぼえた。
ひとつには、自分がこれまで大切にしてきた考え方が惜しげもなく文字のうえに並べられていることだった。けれども、これ自身は喜ばしいことである。読んだ者が方法を実践していくなら、思考に対して、自己満足ではない幸福感を得られるはずだ。私自身も、自らの方法を見直す良い契機になる。そもそも私は、自分の考えた経験の多くを、齋藤の示したボールペンなどのツールに負うている。そのツールを用いて自分なりに発見してきた方法が、もとの齋藤のものと同じであったとしても不思議はない。
それでも消えない不安を探っていった。こうして著者が良い方法を世に出すことで、それ自身ではただ丸腰であるだけの方法論が、よってたかって世の**たちに攻撃されて、「決定的に損なわれて」しまうことを、私は恐れているのだ。**どもはすぐ、「自由な発想が大事」などという。**どもが自己満足で語る「発想力」など、齋藤が示した方法に比べていささかも有益でないばかりか、圧倒的に有害である。むしろ世の**ども全体に蔓延して、世の**のレベルが少しでも上がる芽を摘み取ってしまうからである。
そして、満腹になって、考え直して、これも1つの妄想だと気がついた。方法論は「自由な発想」を全く排除することはない。重要なのは、**も含めて、ふっくらと包み込んでいくことである。包み込んで、蒸し焼きにすることだ。