殺シ屋鬼司令II

読書と研究について書いてきました。最近は万年筆で書く快感にひたっています。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

塩とオリーブオイルはイタリアの醤油

人生でいろいろな国のひとと交流する機会があったが、任意の国というか文化に対して、ソースとスープがある、といえるとはおもう。

note.com

日伊通訳者マッシさんはTwitterサイゼリヤのたのしみかたがバズったことで各種ウェブメディアにも取り上げられた。

料理がおいしいこと、文化の違いを楽しむこと、それに加えて文章・表現が名文でリズミカルで、読んでいるだけで楽しい。

私もきょうの昼食はサイゼリヤを利用して、パニーニを試した。

マッシさんのデザートランキングはその通りで、デザートラインナップのなかでいちばんおいしいのはイタリアンプリンだ。

わたしもこよなく愛している。最近は減量中なのであまり食べていなかった。

表題のイタリアの醤油であるオリーブオイルと塩だが、これは単に薫り・フレーバーと塩分という意味を超えている。

オリーブオイルは地中海沿岸でひろくこのまれる食材で、産地や農園がちがうと味もかわってくるという。

つまり、多様性があって、それをひとびとがたのしんでいきている。

これは日本各地に醤油や味噌があって、地方ごとにこのみがあるのとパラレルだ。

目を他の国に転じれば東南アジアでは魚醤が好まれるし、メキシコではサルサがある。

料理にたいして塩分を添加して「おいしい」を実現することに、どこの土地のひとも熱心だったことがわかる。

なぜわたしは自重トレーニングを続けるのか

アスリートからの率直な質問

thinkeroid.hateblo.jp
この記事を公開したあと、質問をもらった。

柿添(暇なおじさん3.0)は、競泳とフィンスイミングの選手だ。わたしと同い年だが*1、いまなお自己ベストの更新を目指すアスリートで、実際にマスターズ35歳区分200mバタフライ世界新記録も出している。

それも30歳を過ぎ、また競技専業(というのかどうかはわからないが)ではなく、会社員としてビジネスをやりながら競技もするという立場で活動をしている。方法論におけるコスト(特に時間)・パフォーマンスについては鋭い意識を持っている。

本人が、為末大氏と対談して語っているYouTube動画もある。

だから彼のスタンスからすれば

シャバにいてジムも行けるのに、自重でチンタラしてるのはなんで?

というのは当然の疑問になる。

わたしはそのときは

と答えた。

後半のジム代をケチってるからというのはそのままなんだけど、前半部分はあまりじゅうぶん説明できている気がしない。

あと、あらためて考えてみると、漸進性過負荷の原則を自重でどう実現するか、というのは、『プリズナー・トレーニング』の眼目であるステップ構成でもある。以前のわたしは公文式、と呼んだ。

thinkeroid.hateblo.jp

ただ、器具を使ったほうが過負荷を漸進的に実現するのをたすけるというのは確かだと思う。つまり、ひとつの種目でも、『プリズナー・トレーニング』では種目ごとにかなり違う姿勢が要求される。そもそもスクワットはステップ1では肩を地面について倒立するところからやる。でも、器具を使うなら、この点はもっと容易に実現できる、という問題意識はある。

自重トレと哺乳類・霊長類・ヒトの進化

やっぱりひとことでいうと、(最小限の器具を用いた)自重トレをはじめて、シンプルにおもしろいとおもったわけですね。

5年前にわたしはベアフットランニングでマラソンを2回完走したときに、ホモ・サピエンスの解剖学的形質と運動は重要な関連があるということを学んだ。

ハーバード大のダニエル・リーバーマンは、Youtubeに裸足でキャンパス内を走り回る奇矯な教授として上がっている。


www.youtube.com


もともと哺乳類の比較解剖学の教科書を書いていたのが、突如ランニングの研究をNature誌等に掲載して激しい議論を巻き起こした(利益相反項目ではベアフットランニングシューズのスタンダードでもあるビブラム社との関連を明記している)。

自重トレは、進化生物学の観点から筋肉をうごかすということを理解するたすけになった。ただ、哺乳類の解剖学は専門外なのでいまもまだいいかげんな理解のままだが、あらためて勉強したいと思っている。

上腕三頭筋を使う腕立て伏せは、明らかに四足歩行する哺乳類の運動につながっているし、上腕二頭筋を使うプルアップは、きっと霊長類(サル目)の樹上生活の残響だろう。

人類は両手両足をついて野を駆けることもなければ、木に登ることを常態とする生活もしていないから、その変容はいうまでもない。

それでも、腕立て伏せをしてみれば、野生で大地に立つ哺乳類の感覚を強く感じるし、プルアップで樹上生活を幻視するのはかんたんだと思う。

そういうわけで、人体がたどってきた来歴におもいを馳せるのがたのしいから、自重をやっている。

わたしの目的はといえば、動物であること、ヒトであることと向き合い、実感するためにやっている。

これはジムっていう経済活動を利用したり運営したりすることと、目指すところがかなり違う。

そして、ケチもある。必要な器具といえば、バスケットボール・テニスボール。あとは身近にある物品でいろいろできる。住宅地であれば公園があり、公園には鉄棒があったり、ぶらさがり健康器があったりして、どうにか目的が果たせる。

(ここから追記)

だいじな合いの手が入った。書きそびれて公開してしまったので追記する。

ボディメイク・筋肉それ自体を目指すとボディビルになるし、筋トレで(水泳や野球など他の一般の)競技のパフォーマンスを底上げしたい(自己ベストを更新したい・世界新記録を樹立したい)というアスリートが目指すところは異なってある。

わたしも筋肉をつけたいというのは当然ある。だけど、その目指しているのが、ヒトが野生で生きるのに使っていた身体ということになる。ヒトのデフォルトともいえるか。

そのためには持続的な成長を目指すことになるので、最速で筋肉をつけるよりも、これからながく筋肉を動かしていく必要がある。

自重で十分とはいわないけど、とりあえず動きを試しながら自重でやってみるというのが自分にとってしっくりきたということですね。

(ここまで追記)

だいたいこういうところでわたしは自重トレを続けている。

*1:われわれは高校1年の同級生である。

#プリズナートレーニング の難所・ホリゾンタルプルをどう乗り越えるか?

まとめ

  • ホリゾンタルプルができないのはあなただけじゃない、世界中のすべてのプリズナートレーニング者が伸び悩む
  • ステップを細分化する・ホリゾンタルプル「脳」を養う・体重を落とす
  • ホリゾンタルプルのマスターには年単位の期間が必要になることもある

はじめに

リズナートレーニングは、ジム通いも特殊な器具もプロテインもいらない。最初のステップは冗談かとおもうぐらいかんたんでしたね。だから、はじめるハードルが低い。


しかしそのプリズナートレーニングをはじめた初心者が、1ヶ月もすると出会う高い壁。

それがホリゾンタルプルです。

この記事をみているということは、そのあまりの困難さに戸惑ってたどりついたということなのではないか、と思うんですね。

まず、申し上げたい。あなたは正しい。

ホリゾンタルプルは難しい。

あなたにとってホリゾンタルプルが難しい課題だということは、あなたのせいではないです。

現代の人類は、そもそも、自分の体重を両腕「だけ」でもちあげるという活動をしていません。その半分、いや4分の1でもそうです。

重い荷物を持ちあげるとき、かならず、脚などの強大な筋肉の助けを無意識に借りてやります。

でも懸垂ではそういう筋肉の助けを借りることができないんです。腕と背中の筋肉(上腕二頭筋と広背筋)だけでやっていかなければいけない。

たとえばこの本は各種目でどういう筋肉が働くかを理解することができます。


そういうところからはじめるので、懸垂系種目の経験のない初心者は、ハードルの高さにとまどってしまう。

私もホリゾンタルプルに取り組んでいるあいだは、暇さえあれば目を皿のようにして情報を探しました。

わかったことは、ホリゾンタルプルは最初できないのがフツーだ、ということです。フツーというのは日本だけじゃなく、海外でもフツーにできません。安心してください。

じゃあ、どうするか?

プリズナー・トレーニング』の文中に、いくつかの工夫が書いてあります。

その中でここでは、

  • ステップの細分化
  • ホリゾンタルプル「脳」を養う
  • 体重を落とす

という点から説明します。

これらを、私の経験にてらして説明します。

ステップの細分化

あなたはステップ1「バーチカルプル」50レップを3セット、1ヶ月間(4週間)こなすことができてステップ2「ホリゾンタルプル」に意気揚揚と取り組み始めた。

そして、ただちに出鼻を挫かれましたね。

本に載っているとおりになにかの下にもぐりこんで、腕を曲げて自分の体幹をもちあげようとする。そして、腕が 90°ぐらいまで曲がったところで、そこからビクともしなくなり、力尽きる。

器具は、本では机を使っていましたが、私は公園の鉄棒を使っていました。都市部・住宅地であれば、公園がありますからね。

実際、懸垂(プルアップ)のステップ1とステップ2の間には広いギャップがあります。

プリズナー・トレーニング』でも説明されているように、ステップ2で目標となる股関節の高さの鉄棒ではなく、もっと高め・胸の高さの鉄棒を使うわけです。

こうすると、体重が腕にかける力が減少します。それでも、バーチカルプルよりは腕に力がかかります。

つまり、バーの高さが胸のあたりならステップ1.2、みぞおちならステップ1.4、腹なら1.6, ……という中間段階の負荷に相当するということです。

また、すこし話は変わりますが、ひとつ注意したいことがあります。本の中で活躍しているモデルさんは白人です。つまり、「股関節の位置」というのは白人標準で、日本人の体型に換算するとたぶん腰のあたりにくるのではないかと思います。もちろんこれには個人差があるので、各自、本の写真と自分の写真を見比べて、どこを目指すべきか把握しましょう。

ホリゾンタルプル「脳」を養う

プリズナー・トレーニング』のステップで停滞したときの技術も本のなかで説明してあります。

つまり、目標とするステップを「1レップだけ」実行するのを、間を空けて繰り返すというものです。

これも、じつは筋トレの技術としては比較的知られたものです。1レップしかやらないので負荷としてはちいさい、つまり筋肉の肥大や強化からはいったんはなれるんですが、それ以上の意義があるとされています。

筋トレにかぎらず人間のからだを継続的にうごかしているのは頭蓋骨におさめられた脳です。

ホリゾンタルプルであれば、バーをにぎり、体幹を緊張させて、上腕二頭筋と広背筋を収縮させて体幹をもちあげるといううごきを統括しているのは脳です。

この一連のうごきをスムーズにするために、1レップずつのエクササイズは役立つということです。

科学的に正しい筋トレ 最強の教科書』には、イメージトレーニングですらも役に立つといいます。

やはり、ホリゾンタルプル「脳」を鍛えることは重要なんですね。

体重を落とす

正直、はっきりいってこれがいちばん効きました。

体重を落とす方法はあらためて書こうと思いますが、なぜ体重を落としたほうがいいのかというのは、プリズナートレーニングがステップに分かれていることとも密接に関連するので、よく理解しておいてほしいところです。

ひとことでいえば、体重がおもすぎるとステップのあいだのギャップがおおきくなりすぎるということです。

公園の鉄棒も、そんなに高さのバリエーションがあるわけではありません。

そして、ギャップがおおきくなればなるほど、筋肉・腱の故障もおきやすくなるから、敢えてちいさなステップからはじめているのがプリズナートレーニングです。

ホリゾンタルプルのあとも、そして別の種目シリーズも、全体重がかかってくるものがすくなくありません。

そうであるとすれば、どこかの時点できちんと体重を落としたほうが、今後の上達も速くなります。

また、さまざまな生活習慣病のリスクの軽減にも重要です。

わたしは年単位でプルアップはホリゾンタルプルだけやってました

3年以上、プルアップはホリゾンタルプルだけでした。

その過程でいくつかの公園を転々としました。

胸の高さのバーなら、この公園。

腰の高さなら、あの公園。

というふうに近所の公園事情を散歩がてら調べました。

結果どうなったかというと、写真をお見せしたいと思います。

2020年7月。ホリゾンタルプルを開始して2年7ヶ月
2020年7月。ホリゾンタルプルを開始して2年7ヶ月


学生に実験の概要を説明しているところを同僚に撮られた写真なのですが、自分でもちょっとびっくりする背筋だと思いました。

背筋は、大胸筋や上腕と比べて見えづらいです。

見えないと、なかなか伸びが実感できないかもしれません。

ですが、私は敢えて、ちゃんとやれば結果として出てくると主張したいです。

筋肉体操の先生のように、

「背中にちっちゃいマクロスしょってんのかい!」 *1

という境地はいまだはるか彼方にあるのはたしかです。

それでも、毎週毎週つづけていく。

こんどは、プリズナートレーニングに取り組む理由・思想というところを、記事をあらためて書こうとおもいます。

*1:オフ会である方が仰っていてすごく面白かったので引用させていただきます。

#プリズナートレーニング の4年間でどこまで高まったか

四年前に始めたプリズナートレーニングは、いまも続いている。おおむね上達している。
thinkeroid.hateblo.jp

  • プッシュアップ(腕立て伏せ)→ステップ8・アンイーブンプッシュアップ
  • スクワット→ステップ7・アンイーブンスクワット
  • プルアップ→ステップ3・ジャックナイフプル
  • レッグレイズ(腹筋等)→ステップ9・パーシャルストレートレッグレイズ

こういうところまできた。
なお、ブリッジと倒立の2種目は、他の4種目がステップ6まで達成できなければ始めてはいけないことになっている。私は忠実に守っている。
つまり、律速段階は常にプルアップだということだ。とりわけ、プルアップのステップ2であった、ホリゾンタルプルが完全に難所だった。

とにかく、自分のからだがもちあがらない。

あの手この手を使った。

具体的には、地域の公園をめぐっていろいろな高さの鉄棒を試した。高いほうがラクで、低くなればなるほどむずかしい。高いものである程度できるようになったら、低いものを使った。

3年間ほど、こだわった。

夏は蚊にたかられながら、冬は手が鉄棒に貼りつくのではないかと思ってこすってあたためながら、毎週こなしていた。

結果からいえば、成績が良くなってきたのは、なによりも減量したからだったと思う。

よく上がるようになって、目標を達成することができた。

それでステップをこの3月ごろから上げた。

どうやって減量したかというと、あすけんダイエットである。

asken.jp

昨年の6月から始めて、11ヶ月。ほぼ1年。

途中2回の停滞期を経て、10キロの減量を達成できている。

これについては改めてまた書きたい。

#オートミール米化 はすごい

オートミール米化ダイエットレシピ

オートミール米化ダイエットレシピ

最近の弁当はこれのオートミールおにぎりレシピだが、確かに腹持ちが尋常でなくいい。

しかも所要時間が激しく短いので朝の忙しい時間に手際良く作れる。自分の生活におけるリアルイノベーションだ。

業務スーパーオートミールも1 kg、500円ぐらいでしょう。これはコストパフォーマンスもものすごいわけです。

ロールドオーツという種類で、吸水しやすい加工がされてないものですが、特に気にせず、レシピの通り米化できます。

オートミールって、粥みたいにして食べるのが、袋に書いてあり、スタンダードであるらしいわけですが、本当に受け付けないですよね。

それが、水の量を減らすだけでこんなに食べやすく、美味しくなるんだという驚きが、レンチン1分で目の前に突きつけられます。


そう、オートミール米化が簡単にできることや、おいしいことは、すぐにわかる。秒でわかります。

でも、おいしいからって、おかわりはストップ!

グッと拳を前に突き出して、ガマンして、どうだッ! としばらく過ごしてみてほしいんですね。

食欲が、ウソのように落ち着いている、平安時代が訪れます。

オートミールは、腹の中で増えるかのようです。非常に食物繊維豊富で、ダイエットに理想的です。

私などは、あすけんダイエットの記録をしていて、日に一食をこのおにぎりにしていると、1日に必要なカロリーに足りなくなって、あわてて何か食べないとという気になります。

おかわりするとどうなるか?

源平合戦が始まるんですよ……腹の中で……

ほんの少しでも子供を授かることを期待する夫婦と、夫婦に接するすべてのひとに読んでほしい本

この本は、

  • 「子供を授かること」を前向きに期待する夫婦(不妊治療中のひとはもとより、不妊治療は自分は関係ないと思っている夫婦も
  • その夫婦に接する可能性のある全ての人(夫婦の両親、きょうだい、親類、友人、同僚、隣人、バスの中で乗り合わせる人、等々……)

に読んでほしいのです。
そう書くと、およそ全人類が対象になってしまう。そんな主語で大丈夫か?という自信はなかったのだが、考えてみると、やっぱりそれでいいと思う。とりあえず(この書評だけでも)読んでいただけると私はとても嬉しい。
むしろ、不妊治療ということを考えたこともない人ほど読んでほしいと思う。それはなぜか?
不妊治療は、医療技術や制度が問題なのではない。それはどちらかといえば「こころ」の問題だということだ。まさにそういうことがこの本には、小説家ヒキタクニオの夫妻が経験した不妊治療についてのエッセイというかたちで明確に描かれている。

夫婦と妊娠・出産のありようはさまざまである。
結婚して特段の通院もないうちに妊娠することはありうる。
もちろん結婚する前に妊娠することも大いにありうる。
そして、妊娠を望むのにできない夫婦もあれば、妊娠を望まないのにできてしまう夫婦もある。
従って、「望む/望まない」と、「できる/できない」という、2x2=4通りのひとがある。

  • 妊娠を望んで、できる
  • 妊娠を望むのに、できない
  • 妊娠を望まないのに、できた
  • 妊娠を望まないし、できない

このうち、不妊治療をするのは「妊娠を望むのに、できない夫婦」である。

まずはちょっと不妊不妊治療ということの通りいっぺんの話から始めてみる。
結婚後1年以上自然な性交渉があるにもかかわらず妊娠しないと「不妊カップル」ということになっている(定義)。今は、その定義の是非は、於く。ただし、そういう概念の存在を知らなかったなら、それだけでもこころの持ちようが変わるかもしれない。
不妊治療を始めてみると、あるカップルの不妊の原因というのも、夫、妻、夫婦双方、その他がある。説明会に行けば、クリニックで円グラフを示してくれるであろう。
これは、ファクトとして厳然としてあるから、ここでは細かく取り上げない。不妊治療を始めれば誰でも目にするグラフだからである。

大事なことは、不妊リスクは「時間とともに高まる」。
リスクが高まるということは、X年前であれば問題なく妊娠できていた可能性があったが現在はできない、ということが起きうる、ということである。
つまり、スピードが第一である。
だからもちろん、一度子供ができたにもかかわらず、第二子ができない、という第二子不妊というのも稀ではない。
そして同じ理由で、「不妊治療」というこころを持つ前に知ってほしいということも同時にある。

もうひとつ大事なことは、不妊リスクへの寄与は、「夫婦ともにありうる」。
どちらが高い、というものではないし、そうしたことを論うと、要らない摩擦の元になる。
どちらも大いに寄与しうるということは強調しすぎてもしすぎることはない。
だから、夫婦双方がともに意識を高めることだ。
そのことをこの本の中では「心合わせ」と呼ぶ。
なかなか耳にしない表現だが、敢えて小説家の表現力で選び取ったのだと思う。
よく考えてみるべき一語である。

いや、妊娠という一事に限っていえば、その後の負担が妻側に全部のしかかる。
全部というのは「代替不可能な心理的・肉体的負担」がのしかかるということである。
まず、懐妊したかどうかを知るのは妻である。
生理が来る。
非情にも生理が来る。
懐妊すればめでたいが、そもそもが不妊治療というスタートラインで始めているので、失敗する経験のほうが多い。
「生理が来る」という形で突きつけられる失敗の経験というのは男性の想像を絶する、重い事実であり、状態でもある。
これは『ヒキタさん』書にも印象的に描かれている。
夫はそれを決して責めてはいけないし、また、逃げてもいけない。
「ハラスメント」である。

また懐妊後も、24時間・280日*1にわたって、つねに責任を負うこととなる。
これは、ヒトの人工子宮というような技術が存在しない現在の生殖医療技術においては、代替不可能な負担であるということだ。
この期間、妻の負担を肩代わりするものもないし、また、遅らせることも、先取りすることも絶対にできない。
妊娠においては「常に今しかない」というプレッシャーに、妻はさらされ続けることとなる。
夫はせいぜい色々読みかじってみたりするのだが、切実さは妻に比べようもない。
これは全く申し訳ないことである。
そうであるとするなら、夫が妻のいいなりになるくらいでちょうどいいのだろう、というのが実感ベースとしてある。

本記事では、自分たちの仔細な状態がどうであったかや選択について詳述はしないが、夫側である私の検査が遅かったことで妻の不安と不満をいたずらに高めたことは今でも後悔・反省している。
夫の検査は最初は基本的に非侵襲的だから、カジュアルに夫の状態を測った方がいいと思う。
繰り返すが、そうしたプレッシャーに最初に向き合うのは常に妻であることを夫は常に心に留めておかなくてはならない。

妊娠を望んでいる(かもしれない)夫婦に接するひとも、またこの本を読んでほしいと思う。
不妊治療を経験するカップルは、人に言えないまま、とてもつらい日々を送っていることが多い。
毎日が、どっちに転ぶかわからない、そんな尾根づたいに吹雪の中を歩いているような日々であった。
周囲の何気ない一言でも、つらさを倍加させることがある。
「ハラスメント」である。
突然の強風のように、平地であれば耐えられる出来事も、緊張の中で疲れている者たちにとっては致命的でありうる。
そうした言葉のいくつかも、この本の中には出てくる。

問題を解決する行為は当事者が負うのであり、アドバイスというのは、結局、責任を取らなくていい無責任だ。
責任を取らないで、アドバイスに従ったひとがうまくいけばドヤ顔をするし、うまくいかなくても身銭を切るわけではない。
こういうありようであってみれば、卑怯者、と言われても何ら仕方ないことになる。

まとめると、こうだ。

「子供は絶対に要らない・作らない」と(どちらかが)思っているカップルは普通にいると思う。そういったカップルでなければ、夫(あるいは夫になろうとしているひと)は「いますぐ」精液の状態を計測すべきである。
そうした「絶対妊娠拒絶」*2でない、例えば「欲しい気持ちはあるけど強く出られない」という妻にとって、夫が協力的でないストレスは徐々に蓄積していく。
これは、とても不幸なことだと思う。
そうした場面で向き合い、協力することが幸せにつながると思う。

ここで「幸せ」というのは、単に妊娠するかしないか、子供ができるかできないか、ということでは、もちろんない。
むしろ、夫婦の価値観をすりあわせ自覚したうえで、現在と将来の生活のありようを積極的に描いていくことこそが、家庭における幸せの階梯だと思う。
また、妊娠を望みながら妊娠しない、というカップルに向き合うひとたちには、この本を読んで、彼らの眼前にどういう世界が広がっているかを見てほしい。
『ヒキタさん、ご懐妊ですよ!』に描かれていることは、単に「いま不妊治療をしている」というカップルが見ているだけの世界ではない。
当然ながら、「かつて不妊治療を経験しながらできず、最終的に撤退を決断した」カップルが、渦中にあった世界でもある。
そして往々にして、そうした世界観というものを表現して共有することは、ふつうのひとにはかんたんにできるものではない。
ならば、小説家の表現力を借りるのはむしろ順当といえるではないか。
さらにいえば、「誰が不妊治療をしているのか、していたのか」オープンにすることは少ない。こういう経験談を「教養として」あるいは「保険として」読んでおくことで、スムーズなコミュニケーションも期待できますね。

*1:妊娠期間を日本の慣用句で十月十日というのだが、これは英語では280daysとされている。妊娠期間を記録するスマホアプリに「トツキトオカ」というものがあるが、この英題がまさに280daysになっている。我々も使用していた。

*2:無論そうした場合でもできてしまうことは存在するというのは最初に書いたとおりだが、本稿で考察する対象ではないので割愛する。

1月のKindle月替わりセールに名著・『逝きし世の面影』が入っているので強くオススメします

わたしも今ちょうど読んでいる(読み上げで聞いている)半ばであるものの、圧倒的に面白いので、この好機をみすみす逃す人が減るようにと思ってこの記事を書き始めた。

この本を推す声はほうぼうで目にすることがあった。私も興味があったし、新古書店でも目を光らせていたが、なかなか1,000円をおおきく切ることはなかった。

それが、Kindleの月替わりセールで2021年1月に入り、紙の本が2,090円のところ、549円になった。(1月31日23:59まで)

「逝きし世」とは、江戸期の日本と、民衆の生活(著者はそれを「文明」としている)のことだ。逝ったのは他でもない明治の到来と文明開化、それに先立つ外国人の「文明」の流入のためである。

逝ってしまった、喪われた世のありようは、その内部の人間からはほとんど描写されないことさえある。

実は、そうした過去の復元に、外部の人間すなわち外国人の目から見た記録が必要不可欠だった。

外国人たちの視点はそれ自体がユーモラスである。彼らは、江戸末期日本の民衆が「勤勉でもありながら怠惰」で、ときにスッポンポンで自分たちを見にくる一方、その工芸品は今も一部が伝えられているように上質であったり、度はずれに質素に見えたりすることがあって話題に事欠かないので、見聞録が残っている。そうした記述を著者・渡辺京二は拾い集めつつ、20世紀中の歴史家の見方(それは私自身が中等教育まで歴史を教えられた見方の基盤であっただろう)を丁寧に洗い直していく。

江戸末期に医者として来日したツュンベリーは、同時に分類学の祖リンネに教わった植物学者で、師の体系を普くせんと世界に放たれた「使徒」の1人でもあった。今もなお、日本の植物を発見し学術的に記載した著者として「ツュンベリー」の名が残っている種もある。

私自身が植物学者であるから、(朧げながら)わかるのだが、やはり未知の土地を訪っては、野にいでて草木を検めたいという気持ちで、大ツュンベリーもフィールドワークに出たらしい。そして彼はほぼ信じがたいものを目にすることとなった。

田畑に雑草が残っていない。

百姓が野良仕事の中で田畑をきれいに除草してしまっていた。

これを渡辺は江戸期百姓の勤勉さとして引く。しかし、その時の唖然とした大ツュンベリーの悲哀に私はどうしても心が行く。

これは江戸末期であるが、ではそれ以前の時代を復元することはできるかといえば、やはりそれは外からの目が見聞録として残っているのが江戸末期という、絶妙な時代だったからなのである。人数も多ければ、そもそも安全に海を越えて移動することができるようになったのが近世以後であっただろう。

記録のすべもまた然りである。

いかに今の自分と同じ国土の上で生活しているとは言っても、もうその世、或いは文明といったものは、消えてしまったので、今の我々とは本質的に異なる文明である。その彼我の差を越えて丁寧に復元していく作業がこの本であると言った。

知的営為の中でも、「おのれを離れた存在」を理解しようとすることそのものが尊く価値がある。もっというと、そうした営為を経験するかどうかが「大学」、特に学部教育課程の意義だと私は信仰している。

それは言ってみればなんだっていいのだが、私がそうした視点を教えられたのは、刈谷剛彦知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)』であり、ユクスキュル『生物から見た世界 (岩波文庫)』だった。そういうことがUniversity、つまり普遍性への階梯で、俗っぽい言い方をすればこうした本を読むことで自分の頭がずいぶんよくなった(これは、自分が「うわべだけ人間らしきもの」だったのがどうにかやっと中身も人間に近づいた気がした、というほどの意味である)という実感がある。

そういった、「アンパンマーン!! 新しい眼玉よ!!!」とでもいうかのように、スポッと眼球を更新されるような清新な読書体験がこの本にはある。