殺シ屋鬼司令II

読書と研究について書いてきました。最近は万年筆で書く快感にひたっています。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

スゴ本本 (すごほんぼん)

ゴールデンウィークはグロ漫画とグロ小説を読んで過ごした。

この本を読んだからである。

アルファブロガー「わたしが知らないスゴ本(ほん)は、きっとあなたが読んでいる」(以後、スゴ本ブログ)のDainさんが、満を持して初の著書を公刊される、と聞いた私は次の瞬間、ネット書店に予約していた。

本は発売日に届いた。その次の土曜日、Dainさんの出版を祝う会が夕方あった。それまでに読み切ってしまいたかったので、金曜の夜から土曜日の日中はずっと読んでいた。

スゴ本ブログと、スゴ本本の関係のことを、考えている。
例えば、誰かが、自分はスゴ本本を読むべきだろうか、と問いを発したとする。

スゴ本本は、本を読んで生きるために大事な姿勢がぎっしり詰まっている。
私はスゴ本ブログを読んで、そしてスゴ本ブログに倣ってスゴ本を読んできた。その膨大なブログの中から本を読んで生きることについて、一冊の本に集約されていることを限りなく価値あることだということがわかったから、迷いなく買った。

この本の最初には本をどうやって選ぶかと言うことが書いてある。たくさんある本の中から本と出会うための方法論が書いてある。そのうちでもオフ会や書店巡りのような方法論は幸いにもこれまで私は何度かご一緒する機会があった。たくさんの本を教えていただいたし、その結果私の家の本棚は大変なことになっていった。

その一方で私はやっぱり電子書籍書籍に対するスタンスはかなり違う。私は海外生活が4年間あったのでその間電子書籍に大いに助けられることになった。電子書籍なしでは私は知的に死んでいた。私は自分の知的生活の中で電子書籍の割合がとても大きい。電子書籍なしでは生きられない。そして電子書籍の良さもいくつも知っている。それは私はここで繰り返すことをしない。

本を買うこと、図書館で借りること、電子書籍古書店新古書店Amazon……そういう本の付き合い方のそれぞれを私はかなりやってきた。その時々で付き合い方が違う。何が普遍的なベストとかではない。一つ一つ探っていくしかない。

本を読む生き方を考察する書の中で、書くことが扱われているのは二つの意味があり、読んだことについて書く、書こうといろいろ考えることで読み方がどんどん深くなるからであり、また、本を書く側がどう書いているかの手の内を知ることで読み方も良くなっていく。

「よかった」で終わらせるのではなく、自分に生じた行動の変容を手がかりに読書の経験を全身で受け止めることになる。

もう10年以上前になるが、メディア論のマーシャル・マクルーハンに関する本を読んだ。マクルーハンは「メディアはメッセージである」という文句で有名だが、一方でその意味が広く理解されているとはいいがたい。私もその本を読むまで何もわかっていなかったが、読むことで良くわかった。

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メディアがメッセージであるということは、新しいメディアが出現することによって人類のあり方が変わるよ、という、今にしてみれば当たり前のことであるらしかった。ただ、当たり前のことほど、自覚的になるのは難しい。

「よかった」で終わらせるのはもったいない、自分がどう変わったかに向き合いなさいという。それは、本、本の後ろにある本、そして人、人の後ろにある本、等々、といったことを最大限に尊重することにつながっていくだろう。

私はどう変わったかと言えば、付録として紹介されている劇薬小説や漫画を連休で読んだ。充実した連休を送ることができた。

そして、Twitterに書き込んだ。

私は劇薬本として、第一に『メイドインアビス』を推す、と。

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『最高の呼吸法』で、鼻詰まりが通る経験をした

きょう語りたいのは『最高の呼吸法』についてである。

いきなりディスクレイマーしたいことがいくつかある(Amazonアソシエイトしているということとは別に)。

  • このメソッドは、一般に「ビューテイコ・メソッド」と呼ばれていて、ロシア人医師ビューテイコが開発したものであるという。そして、喘息が治る、と触れ回って全世界に信奉者がいるらしい。そして、これが最も大事なのだが、医学的にはエビデンスが確認されていない。
  • だからこのメソッドを私は推奨はしない。アイデアとして個人的に試してみた結果だけを、書く。
  • オススメするわけではないのだし、当然のことながら、この本を読んで健康に問題が発生しても私は一切責任を負わない。責任とはそもそも自己責任であるから。

ビューテイコ法のアイデアはいくつかあるが、

  • 鼻呼吸(口呼吸絶対殺すマン)
    • わかる
  • 腹式呼吸
    • ↑わかる
  • 二酸化炭素が大事
    • ↑わか……ん?
  • だから息を止める訓練をする
    • ↑わからん

というあたりを読み取った。当たり前の部分(鼻呼吸・腹式呼吸)と、謎の部分(二酸化炭素→長く30秒以上息を止めることを目指す)が混ざった非常に不思議な本である。

息を止めて鼻詰まりが消えた

私は長年、鼻詰まりに悩んでいる。左右の鼻腔のどちらかはたいてい詰まっていて空気が通っていない。

以前どこかで、強いてでも鼻呼吸することで、鼻詰まりが緩和するという情報をみたような気がして、やってみたがうまくいかなかった。ずいぶんいい加減なことだ。

で、この『最強の呼吸法』なるものが、かなり前にKindle本のセール対象になっていて、買ってあった。

最近になって、積読消化の一環で読んでいたら、存外怪しい。そもそも「トップアスリートが実践」と言うそのトップアスリートは、アイルランドの国技かなにかのもので、ずいぶんニッチな記述である。

しかし、鼻詰まりについてだけは確かに一時的な緩和があった。

やりかたは

  1. 背すじを伸ばす
  2. 口を閉じて鼻から息を吐き切る(ビューテイコ者は、口呼吸絶対殺すマンである)
  3. (鼻をつまんで)息を止める
  4. 我慢が難しくなってくるまで息を止め続ける
  5. ゆっくり鼻呼吸する
  6. 2から繰り返す

本ではこの息を止めている間に歩いたりしろとか色々書かれているのだが、「息を吐いて止める」というところだけでも効果がある。

不思議なのだが、作用機序はよくわからない。二酸化炭素が重要とか、いろいろとゴタクがこの本の中に書かれてはいるのだが、最初にも書いたように、エビデンスはない。たぶん生理学的な実験でも実証されていない。

しかし、である。実感ベースで書くと、確かに息を止めている間に、副鼻腔の奥の感覚が変わる。

「腫れ・充血が引いていく」ような感覚である。

止めているのだから当然なのだが、苦しくなってくる。苦しむと同時に、少しでも空気を取り込もうと気道が陰圧になるのがわかる。このときに、鼻の奥が「ほぐれる」「ゆるむ」という、マッサージやストレッチのときの筋肉と似たような感覚を得る。

これは不思議な感覚で、生理的に説明できるわけではない。しかし確かにあり、そして息をゆっくり吸うと確かに鼻の奥を空気が通過していく。

言い換えると、これまでは「少しでも鼻で息をすることが鼻詰まりの解消になる」という、ポジティブフィードバックを意識していた。しかし、実は、「現在の呼吸量が何の基準でかはわからないがとにかく多すぎて、鼻の奥がそれをセーブするために詰まりを引き起こしていたのが、意図的に息を止めるワークを行うことで水準が緩和して閾値を下回るようになり(止めているのだから当然だが)、むしろ必要になって、呼吸量を増大させるために鼻の詰まり・鼻腔内の腫れを抑える」というような、ネガティブフィードバックをネガティブフィードバックでオーバーライドをかけるようなモデルで考えたらいいのかもしれないが、本当のところは何もわからない。ただ想像しているにすぎない。

寝ている間に口にサージカルテープを貼るといびきが少なくなった

もうひとつ、寝ている間の呼吸を修正するメソッドとして、口にサージカルテープを貼る方法が紹介されているのを実践した。

私は長年、いびきがうるさい。それで家族から、折々に酷い仕打ちを受けてきた。

それがサージカルテープを貼ることで、いびきが軽減したという。

サージカルテープの貼りかただが、私は、大きな「バツ」を口につけている感じで貼っている。

20センチくらいのテープを、右の頬骨から左の顎の下まで1本、左の頬骨から右の顎の下まで1本、唇の真ん中で交差するように、貼る。これが自分にとって一番安定する。

いろいろな貼りかたを試したことがある。唇を横一文字に蓋するように貼ったこともあれば、縦一文字に開く力に抵抗しようとしたこともある。バッテンを小さく、鼻の横あたりから唇の下あたり、テープを5センチずつくらいでやったこともあるが、これらはいずれもダメであった。

横一文字のテープは縦の力に弱く10秒もたたないうちに崩壊し、縦一文字のテープは横方向に口が動くと終わる。小さいバッテンも力不足すぎる。

要するに、口腔を縦横に動かして開こうとする表情筋そのものを丸ごと力学的に制約してしまう、大きなバッテンでしかうまくいかないのである。

これできわめて安定的に、朝までテープが残存している。いびきも少なくなったと家族から好評である。

私は今回何も勧めない。ただ、『最強の呼吸法』にインスピレーションを受けた私の経験だけを書いた。

サージカルテープはお近くの百円均一のものを使っている。とにかく百均では自由にやっている。

#絵を見る技術 を読んで #美術館 に行こう

この本が話題になっていたので読み終わって呆然としている。

たとえていうならば

絵心

ということばで、自分が感じていたことが、これでもかと徹底的に平易に、古今の名画の実例を出して説明してある。

構図を手がかりとして名画を順序立てて解読する方法をこの上なく平易に解説している。もっと早く知りたかったし、美術館が再開したらすぐに行きたい。

こんなこと知らなくて、本当にすいません……生きててすいません……って泣きながら読んだ。

もしかすると、この本に書いてあるようなことは、人文系の学科を出たひとたちにとっては常識なのかもしれない。

自分は、バカにされるかもしれない、と思う。それを恥ずかしく思うかもしれないと思う。

……いや、ちょっと待ってほしいんだ。こんなこと、本当に基本的なことだっていうなら、なぜ誰も言わないのか? こんなことをいうのは「初心者向け」だと、わざわざ説明したことでバカにされるからなのだろうか、と邪推してしまう。

実際、本書の最初の方で、いちいち構図を解釈するために、どこからどこに放射状に線が配置されていて、焦点が集まるようになっているとか、美術館の解説文には書いてない、と述べられている。「あたりまえ」なのだろう。

たしかに、この本がやっていることは「チャート式」的・「アンチョコ」的かもしれない。

わたしはこれまで、Amazonやブログ等のいろいろなレビューで、一般向けに平易に人文の諸知識を解説する本や、特定の新書レーベルに対して「チャート式」「アンチョコ」とバカにしているひとたちを散見した。私はそうした言説を見るときいつも心が痛み、そのたびにその方面を見る心が少しずつ冷たくなっていくのを感じるのである。

でも、そこが重要な橋渡しなんじゃないのか。

いわば「知の高速道路」のインターチェンジのところにおおきな断絶があるのだ。インターにはいるまさにそのポイントで、「決死の跳躍」みたいな行為に及ばねばならない。そういう事故製造機みたいなのはやめたほうがいいだろうと思う。むしろこのように、ちゃんと橋渡しをする本を高く評価して、私のような、人文系に縁の薄い読者が絵画(のみならず、視覚藝術)にアクセスするための安全な橋渡しを増やすことが、文化的な社会の「再興」にとって近道なのではないだろうかと思う。

実際、この秋田書を読み終わった後、書店をぶらついて、絵画を読み解く系の本を眺めていた。

イメージやモティーフ、アイコンと言った記号を、個々にゆびさす本は数あるようだった。それはたとえばキリストや聖母マリアの図像的な解釈の蘊蓄を垂れる。しかし、それらには、自分が『絵を見る技術』をもって自覚した絵心観に到達するものは、探し方が悪かったのもあるだろうが、出会えなかった。

視覚藝術全般に通じる技術

この知識を念頭に、たとえば写真とかを見直してみても、やはり自分が撮った「これは良い写真だ」と思う写真も、この「文法」に従っていると見ることができる。

そうなのだ。最後の最後でも著者が述べているように、この本の射程は、絵画にとどまらない。

目で観て、脳で理解する、いわば「視覚藝術」全般、つまり、写真や彫刻、建築、工藝、デザインなど、様々な領域に波及する。「スケール」する技術なのだ。そして、その技術を端的に、系統的に鍛えるための題材として絵画に取材している。

たぶん、自分がかつておこなっていた演劇も、きっとそうだったのだ。

演劇を演出する際に、「一瞬を切り取ると一枚の絵画のような舞台」という表現がある。

絵画の文法を意識することで、写真を見るときのよさを知るのは、自分にとっては革命的で、しかもそれが平易に表現されているのはとてもありがたかった。

他の官能を用いる藝術はどうか

同じような革命性が、『作曲少女』についてもあった。

これは作曲について書かれた本だが、

「メロディは、ハ調に転調するとすべて白鍵の上に乗る」
(原文ではなく私がわかったところの表現)

という知識は40年近く生きてきて革命的だった。もっと若い時に知りたかった。

小説で何かこれに類するものあったかしらと考えていたがアリストテレスの「詩学」なので解散。

詩学 (光文社古典新訳文庫)

詩学 (光文社古典新訳文庫)

(え、この古典新訳の詩学には「喜劇編」についての記述があるの?)

麻生幾『38°C』を再読するとコロナウイルス対策が書いてあった

38℃ 北京SARS医療チーム「生と死」の100日

38℃ 北京SARS医療チーム「生と死」の100日

  • 作者:麻生 幾
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/01/10
  • メディア: 単行本
むかし読んだ、麻生幾『38°C』に、北京でのSARS対策医療チームのことが書かれていたことを思い出して、読んでいた。
アマゾンで見ると絶版か品切で、現今の情況下であろう、中古価格が高騰していた。

コロナウイルスというウイルスの性質で自分が最近わからなかったのは

  • 医療関係者はうがい・手洗いのことばかりいうし、ふつうのマスクはあんまり意味がないという
  • でもマスクは品薄になっている
  • エアロゾル飛沫感染するとも言われているがよくわからない

だった。

そういうことがよくわからなかったのだが、この本に特別寄稿されている、角田隆文医師がSARS対策のことをまとめた文章でずいぶんイメージできるようになったので抜き書きをした(読み上げて音声入力したものを誤字を直した)。

角田隆文「SARSへの大いなる誤解」
麻生幾『38°C  北京SARS医療チーム「生と死」の100日』pp.205-211

……さて「隔離」について話を進めましょう。
「ライノウィルス」(風邪を引き起こす代表的ウィルス)を始めとする、いわゆる「風邪症候群」の起炎ウィルス(原因となるウィルス)が感染していく仕組みは、くしゃみや咳などで1メートル以内のウィルスが浮遊することで感染する「飛沫感染」よりも触る、飲むと言う方法で感染する「接触感染」である‐ ‐まず、このことを頭に入れていただく必要があります。
ゆえに、こういった疾患に感染しないための方法は、まず何より「手洗いによる感染防止対策」が最も有効であるーーこの事実も非常に有効です。
非常に気になる事は、感染症について様々な議論がなされる時‐ ‐今回のSARSでもそうですが‐ ‐いつも新しいウィルスが登場すると「空気感染」ではないのか、と言う話が飛び交います。しかし、そんな噂に振り回されることより、はるかに重要な事は、とにかく「手洗い感染対策」を行うことなのです。
今回のSARSでは、アパートの上と下の住人が発病したことなどから、空気感染が疑われ、「陰圧病室」(外気より部屋の中の気圧が下がっていることで、部屋の中の空気が漏れないようにされている)への隔離が進められました。つまり「空気感染」への対応が行われました。
ところが現実はどうでしょう。ほとんどの国と病院ではーー突貫工事をしてSARS専門病院を建てた中国のケースを除き‐ ‐「陰圧病室」は準備できなかったのです。ハノイではむしろ病室の窓を大きく開けて対応したのです。
では日本はどうでしょう。読者の中にはいぶかる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は、空気感染をする結核の患者を治療する病院では、またわが国の法律の上でも、病室の窓を開けて換気することを推奨しているのです。
SARSの恐ろしさを知ったわが国では2003年10月に法律を改正し、SARSを「1類感染症」の分類に入れることにしました。
そのことによってもしSARS患者が発生した場合、「陰圧病室での隔離」が原則となり、必ず閉め切られた空間で診療することになったのです。
これは患者の診療する医師や看護師、そして救急隊員たちを危険にさらす結果となりました。何しろ、いわばウィルスが充満してとどまっている“汚染濃度”が高い空間に、医療関係者が放り込まれることを意味するからです。
「陰圧病室」のことばかりが先走りしていますが、今こそ、冷静な知見が求められるべきでしょう。

さらに“常識”にまで飛躍している「誤解」は、「マスク」と言う問題も存在します。
SARSを報道するメディアでは、必ずと言っていいほどマスクをつけた人々の映像を流し、そしてその「マスク」についての安全性についても様々な意見が噴出しています。
WHOは、SARSアウトブレイクが発生した当初、患者に「N95認証マスク」という高性能のマスクをつけさせるよう勧告しました。ところがここで不可思議なことがあります。
この感情がつける「N95認証マスク」についての“効果“や“信頼性“について、WHOからは新たな分析はほとんど発信されていないことです。
「血液中酸素飽和度」(肺の活動を知るデータの1つ)が低下する、いわば「呼吸困難」を訴えている患者が、健康な人でも息苦しさを感じるマスクをつける事は容易ではありません。しかも、中国などでは、酸素マスクの上に、さらに「N95認証マスク」をかぶらされている患者の姿をテレビニュースで数多く見かけましたが、全く医療の目的とそぐわないという他はありません。
N95認証マスク」とは0.3 µの粒子を95%カットすると言う強力な遮断能力を持っています(SARSウィルスそのものは、0.2 µだが、水分が付着したりするので効果があるとされている)。
ところが多くの人々が‐ ‐医療関係者であっても‐ ‐「誤解」しているのは、マスクの性能として、顔と鼻などとの厳重な密着性が要求されている、と言うことを忘れている点です。「N95認証マスク」の能力を発揮させるためには、マスクと顔や鼻の間にものを挟むことなどは絶対に許されません。また逆に、密着性を高くすれば、健康な人でも息苦しさを感じて長時間の装着はできないのです。
その後、WHOからは「N99」(0.5 µの粒子を99.95%カットする)と言うマスクまで飛び出しましたが、SARS発生から1年以上経った今、臨床医たちによる冷静な分析を行っている文献の中に、「サージカルマスク」(手術用の簡易マスク)でも充分だと言う記述も見られます。
重要な事は、「N95認証マスク」が本当に必要とされたかどうか検証すべきである、と言うことです。
N95認証マスク」をつけず、サージカルマスクだけで感染してしまった人々は、おそらく、サージカルマスクを素手で触れるなどの後、手洗いが不十分だったからだ、と言う意見もあります。
それを物語るのは、SARS患者発生国の中で、カナダを除いたヨーロッパなどの先進国でのケースです。そこでは医師や看護師たちへの院内感染など「二次感染」があったと言う報告がほとんどなされていません。ベトナム、カナダ、シンガポールやフィリピンで医療従事者の感染率を引き上げているのは、WHOから警告が発せられたときにはすでに感染が拡大していたからです。その後は「輸入感染者」が患者のほとんどを占めています。
これらの教訓としては、一般市民に対して、何よりまず「手洗いの励行」を強調すべきであっただろう、と私は思います。

感染拡大で重要な役割を果たしたと言われている「スーパースプレッダー」になる存在にも、大きな「誤解」があります。
この名前だけから連想されるのは、あたかも患者自身に固有のリスクがあるかのようなイメージの言葉が飛び交い、それが一人歩きしてしまったことです。
SARSアウトブレイクについて2003年秋ごろから公開されつつある知見では、「ネブライザー」(気管支などの症状は和らげるために薬を霧状にして喉の奥深くに吹きかける医療器具)を使った医療行為や「気管内挿管」(自立呼吸が困難となった時、口から管を入れて体に直接空気を送り込む医療行為)などによって感染拡大が起きたことが報告され、貴重な教訓としてSARSに立ち向かった医師達が警告しています。
ネブライザー」によって発生した霧は、患者の奥深くにへばりついたウイルスを付着させ咳嗽とともに口から排出され、病室全体に広がってしまうリスクがありました。また「気管内挿管」は患者の口と極限まで自分の顔を接近することが求められることから、簡単に飛沫感染してしまう危険性があったのです。それら非常に危険な空間の真っ只中に医師や看護師たちが常に放り込まれるという光景が多くの場所で繰り広げられました。
むしろ、この2つの医療行為に「スーパースプレッダー」の原因を求めるべきではないでしょうか。
また、高流量の酸素投与がウィルスを遠くまで拡散させてしまう、という実験も教訓の中で示されています。
今回のSARSでは、「可能性例」の10%が重症患者となったと言う報告がなされていますが、そうなった患者に対しては当然、「低酸素血症」(酸素不足の血液)を引き起こしているため、治療現場では大量の酸素が投与されていました。酸素投与と言う医療行為も、ウィルス拡散の引き金の1つとなった、と言う事は想像に難くありません。
「空気感染」をする結核の場合でも、「気管支鏡施行医」による検査(ファイバースコープによる気管支検査)や病理解剖医(病気で亡くなった人の解剖)の中での結核感染が多いのです。
例えばそのリスクが患者を運ぶ救急隊員にとっても同じで、搬送途中、緊急措置が必要となったとき、手で操作する呼吸補助で用いるアンビューバックにより大量のウィルスが室内にまき散らされた事は想像に難くありません。つまり、医療行為中における感染拡大防止の方法にこそ、実は感染拡大の大きなリスクがあったと思われるのです。
……

こうしたことを読むと、要するに、

  • たしかにエアロゾル感染はしそうだが、エアロゾルを人体が常に発出するというよりは、医療行為のなかで作成されたエアロゾル操作によってむしろ「エアロゾル性ウイルス粒子」が作出され、それがバンバン感染を広げたらしいというイメージ
  • やっぱり手洗いぐらいしかすることがないらしい
  • コロナウイルスという点で、SARSウイルスであるSARS-CoV-1と、COVID-19 (いわゆる「新型コロナウイルス性肺炎」)のSARS-CoV-2の間で、ある程度バイオケミカルに共通性をもつのだろうし、そこのイメージもついてきた
  • マスクが有効なのは要するに、汚染に接触した手・指が、鼻・口のダイレクトアクセス頻度を下げることによって劇的に感染のレートを下げるということなのだろうというイメージもわいた

ということで頑張って手洗いしていきたいと思った。

ものぐさランナー(そしてダイエット)のためのスロージョギング

要約

  • ジョギング・ランニングの初心者にはスロージョギングを特に強く推したい。
  • スロージョギングで大事なことは遅く走ることであり、ときには「歩くよりも遅く走る」という(一見矛盾めいた)表現になることもある。
  • スマートウォッチなどの心拍計でだいたい140以下ぐらい(計算式がある)を越えないよう走ればいいだけ。
  • スロージョギングには軽い運動靴であればよく、靴はあまり重要ではない。着地もあまり重要ではない。ただ、自然にフォアフットになるとは思う。
  • 習慣を継続するためには「やる(やめない)こと、ブランクが開いても再開すること、絶対に無理をしないこと」の3つが重要。
  • そしてこの2つ目と3つ目に、スロージョギングはとても利するということから「栄養がある」と言えるのだ。

スロージョギングはいいぞ

わたしは2016年はけっこう気合をいれて走っていたのだが、その後なかなか走る時間を確保できなくなってしまった。
走らないとやっぱり如実に体重が増えてくる。継続的に走りたい。しかし、ブランクが開くと走ることがこわくなる。故障がこわいのである。
そのためにわたしが気をつけているのは走る時にスピードを上げないようにするということだ。そして、その際に、つねにApple Watchの心拍数をモニタし、心拍数が140を上回らないようにすることを励行している。
一般にいう「スロージョギング」の実践である。スロージョギングはおすすめできる。スロージョギングには栄養がある。

スロージョギングで人生が変わる (健康人新書)

スロージョギングで人生が変わる (健康人新書)

スロージョギングで人生が変わるなんて大げさな、と思うかもしれないが、わたしはわりと人生が変わった。どちらかというと運動が破滅して無を超越したマイナスだった人生を30歳まで過ごしてきたのだが、スロージョギングでマラソンを2回完走した。

単にゆっくり走る、それだけでよく、靴は普通の運動靴でいいと思う。わたしはビブラムファイブフィンガーズを使ったフォアフット=ミニマリストランニングの実践者だけれど、地下足袋でもよい(マジで)。

要するに何でも良い。軽かったら望ましい、ぐらいである。

大事なことはとにかくゆっくり走ることである。ゆっくり走るというのはありていにいってしまうと初心者は

「歩くより遅く走る」

ということに尽きると思う。走り始めた初心者でApple Watchのような心拍計を持っているなら、誰かが歩くスピードに合わせて走ってみるといい。みるみるうちに心拍数が上がっていって150ぐらいにはすぐになってしまう。高強度すぎるのである。

この辺の運動生理についても、各種スロージョギング本はグラフで説明してあって、実感にも則していた。

習慣の継続のためにスロージョギングは有効

とにかくジョギングというのは強度があがりやすい。そして、強度が上がるとほぼ確実に故障してしまう。それは避けなくてはいけない。習慣として確立する以前の問題になってしまうからだ。

習慣の確立についてはいくつか書いてきたが、簡単にここで重要なのは

  1. やる(やめない)こと
  2. ブランクがあいても平気で再開すること
  3. 絶対に無理をしないこと

が挙げられる。
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もうわかるかと思うが、2番目と3番目が、スロージョギングにピッタリなのである。

スロージョギングは強度が低いので、気軽に再開できる。また、無理にならず故障もしにくい。

つまさき・かかと論争とナイキ厚底シューズ

靴と着地についてフォアフット論争というのが10年ほど前に話題だった。

具体的にいうと、めっちゃ速いアフリカ出身ランナーなどが多くつまさき着地をしていたということが非常に注目されていたのである。

そしていま話題なのが、ナイキの厚底シューズである。私も先日箱根駅伝をテレビで見ていたが、ほぼナイキ独占状態だった。これに先立って、エリウド・キプチョゲが非公式記録で42.195キロを2時間切った。これもナイキである。

このナイキの状況は、ポストつまさき・かかと論争としてアツい。

2010年代初頭、つまさき着地といえば薄底・ミニマリストシューズで、かかと着地が厚底だった。

わたしもその間を完全にフォローしているわけではないが、ナイキが出してきていた現在の厚底シューズは、「つまさき着地にする」厚底シューズであるということが新しかったらしい。コロンブスの卵である。

最近のニュースで知ったが、マラソンのレースでは今後このナイキ厚底シューズが禁止される方向があるようで、そうした動向も注目されている。

つまさき着地の実践者としてひとつ申し上げられることは、ふくらはぎがかなり追い込まれる。そのかわり膝の負担が減るらしいのである。

そうしたことも含めて、無理のない範囲で、運動の習慣をつけていくことが望ましいと思っている。

やはり万年筆の水洗いはすごい

昨日の朝カスタム74のコンバータ に入っていたインクが終わったので水洗いをした。
洗うとやはり書き味が完全に変わって、良くなる。カリカリひっかかりがなくなる。すごいな。洗ってみるもんだな。幸せだな。やはり乾いて引っかかるようになっていたことがわかる。
ニブの先端に細かくインクが付いて乾いていったんだろう。それがこれだけ気持ちよく出るようになって私は本当にうれしい。とにかくやはり快楽が違う。書き味が良い。
ペンクリニックで調整してもらった直後は書き味も良かった。ペンドクターに、このペン先は問題ないですよ、といってもらった。その上で少し微調整してもらったことで、その時の書き味は本当にとても良かった。しかしその後、毎日使用するにつれて、どうも引っかかりとか擦れたりする感覚が出てきた。そうすると気になってくる。

ペン先と言うのは非常に精密なもので、少しの違いというのが何倍にも増幅されて感じる。

書き味を維持するために重要な事は水洗いであると万年筆の愛を語る本『4本のヘミングウェイ』にも書いてある。巻末に万年筆のメンテナンス方が絵入りで描いてある。

調整したり歪みを取ったりと言う事は個人的にはユーザ側では困難だろうが、洗うと言う事はユーザ側で用意することができる。

台風連休にTOEICの効果絶大な英語勉強法を知ること

連休で台風に閉じ込められている人にこの本を紹介したい。

アプローチが正しい

  • 教材を公式問題集に絞ること
  • 日本語訳を読んですぐに英文を読み(リスニングであればさらにそのあとにパッセージ音声を聞く)解説があれば読むこと
  • 翌日など間髪入れず復習すること

など、基本的に誰でも応用できる。

公式問題集はこれ

TOEICテスト公式問題集 新形式問題対応編

TOEICテスト公式問題集 新形式問題対応編

公式 TOEIC Listening & Reading 問題集 1

公式 TOEIC Listening & Reading 問題集 1

公式TOEIC Listening & Reading 問題集2

公式TOEIC Listening & Reading 問題集2

公式 TOEIC Listening & Reading 問題集 3

公式 TOEIC Listening & Reading 問題集 3

公式 TOEIC Listening & Reading 問題集 4

公式 TOEIC Listening & Reading 問題集 4

公式TOEIC Listening & Reading 問題集 5

公式TOEIC Listening & Reading 問題集 5


手法が単純な場合、むしろその根幹にある思想が重要

シンプルなアプローチで、どういうことが大事なのか、本質を読み抜くことが必要だと思う。組み立て方が、やっぱり学校英語教程とは180度違う。真面目に学校勉強をやってきたひとほど、この手法に認知不協和をおぼえるかもしれない。脳ミソがバグるわけだ。

だからこそ、あえてメソッドのままを墨守することが近道になるはずだ。

著者の実体験がニート状態*1で時間が無尽蔵という筆者の特徴から、たしかに彼がそれをすごく短期間(5週間)で達成したことは印象的に思える。しかし、期間は実際今回ある程度割り引いて考えたほうがよさそうだ。

それよりも、アプローチを正しく読み込むべきだろう。

英語の勉強は、脊髄反射を鍛えることがアルファでありオメガなので、再読的な反復・復習が効くのは、むしろ明白だ。

日本語訳を読んでから英文を読むことも、「わかり」の身体感覚が根幹にあるから、英語が自分に結晶化していきやすいと思う。

特に「日本語→英語」の効能は、自分も米国にいるときに日本のアニメを英語字幕で見ることでいろいろと役に立つ表現を獲得したので納得があった。

先日、妻にこの方法を教えた。はじめは彼女は不承不承、精読のようにやっていたが、この本を再読してから、間髪入れず復習するようになって、イディオムなどの吸収が良くなったらしい。

公式問題集の衝撃

実はわたしは以前にもTOEIC勉強のエントリを書いたことがある。14年前だ。しかし、あるとき読み直して完全に時代遅れになっていることがわかって取り下げた。

それは、よくできた公式問題集が発行される前だったからだった。

現行の公式問題集は非常にデキが良い。各パッセージの日本語訳も、イディオムの解説も行き届いている。

そうした解説をすべて読み込むというのが「春名メソッド」の根幹だ。しゃぶりつくそうというわけだ。

そして、私の目からもその価値は十分にあると思う。なぜなら、TOEICのシチュエーションは英語圏の生活でほんとうに「ある」からだ。

TOEICと世界の「現実」

TOEIC教師とミステリ作家がコンビを組んで書いた、TOEIC世界にどっぷりひたりつつ相対化してメタに描く小説『不思議の国のグプタ』がある。

不思議の国のグプタ

不思議の国のグプタ

「そんなに図書館がずっと工事中なわけがないだろう」

「そんなに飛行機が欠航するはずがないだろう」

「そんなに会議室が変更になるはずがないだろう」

日本でだけ暮らしてきたひとにはひょっとすると笑い話かもしれない。

ひとつ申し上げるとするなら、これらはすべて非常にしばしば生じる事象である。頻度としては高くないかもしれないが、決して非実在というわけではないものだ。

余談だがアメリカで暮らしはじめたときにいちばん激しく驚いたのは、道にバナナの皮が落ちていたことだ。あの、コメディーで登場人物が上から踏んづけてサマーソルトキックをキメる、あのバナナの皮である。

現実なのだ。

ともあれ、飛行機などはもう、ポピュラーさがぜんぜん違う。米国は飛行機がなければほとんど都市間の移動は現実的ではない。そして飛行機は気象状況に容易に左右される。欠航することも日常茶飯事だ。

そうした現実はTOEICの問題の世界の中にきわめて適切に反映されていると申し上げて差し支えない。

英語という言語での生活を送る上でもTOEICの勉強は決して無駄にはならないということをいいたい。様々な文書を読めるようになることは言うまでもない。

この連休でTOEICのこの効果絶大な英語勉強法を知って本質を読み取ったら、台風一過落ち着いてから、ただちに公式問題集を入手されるのがよい。

*1:「状態」とついているのはニートは定義上35歳までだからだ。