殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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わたしの20年の知的方向性を決めた本・佐倉統『進化論という考えかた』

目次

進化との遭遇

わたしはいちおう進化生物学を専門にしていることになっている。*1
20年前に進化生物学にハマったのは明確に『進化論という考えかた』の影響だった。それは20年前は出たてほやほやだったとはいえ、すでに20年という、当時産まれた子供がすでに成人しているぐらいの時間が経った。少なくともそれ自体はそのときのわたしにはいい本だった。それまで生物学を勉強したことがなかった(でもすでに専攻が生物学と決まっていた)健康優良電子機器解体青年児マンが「進化やべえ」と思った。

この本は題材に、実際の生物というだけではなくてアルゴリズム」としての自然選択を平易に説いていた。そういう意味で、ひとを選ぶ面もあるだろう。

というのは進化生物学というのは、理論・考え方が日常世界の生活の認識と180°展開するような新鮮さがあるのと同時に、地球上に多彩な生物がいるという事実の多様性、そして何よりその過程で自分たちヒト自身が出現し、いまなおそれに囚われ続けているという「ジブンゴト」の側面まである。そして、どの過程からアプローチしても進化なのだが、しかし、その読書体験はそれぞれぜんぜん違うものだ。

例えば考え方の側面を論じるひとはたいていドーキンスとかダニエル・デネットに行き着く。
thinkeroid.hateblo.jp
デネットは様々な本があるが、自然選択を真正面から扱った本は『ダーウィンの危険な思想』だ。最近になって新装版が出たようだ。

また多様性について、たとえばカンブリア大爆発の『眼の誕生』のような、具体的なトピックとその発見のドラマはそちらに譲ることになる。そういう本が好きな人にとっては面食らうかもしれないということだ。この本は掛け値なしに面白いし、地球上の生物進化の中でももっともドラマティックなものであり、また、常識がぶっ壊されるひとが続出したらしいのも頷ける。

眼の誕生という事象に並ぶ進化イベントのひとつは間違いなく細胞内共生だろうけど、細胞内共生は割ともうみんなほとんど議論の余地がないと思っちゃっているんじゃないか。

そして、ヒトのジブンゴトとしての進化生物学は典型的には進化心理学として現れることが多い。進化心理学は玉石混淆あるので紹介するのは難しい。ただ、私自身が読んだし世の評価も高く、権威という意味でスペック的にももっとも確立しているのは長谷川夫妻の本なのは間違いない。

わたしが読んだのは旧版だった。それは2000年刊行らしく、わたしの大学時代はまだまだ刊行後間もなかったということになる。

その後にいろいろな本が出て、私も読んでいるのだが、『考えかた』はほんとうに「考え方」の面で蒙を啓かれた。田舎を離れて都会に出ていろいろなものを見聞きし、20歳をまさに迎えようとしていた自分にとって、自然選択という考え方それ自体が革命的だった。めちゃくちゃ平易だったのである。

個々の生物や形質の進化はもちろん滅茶苦茶重要だけど、そういうものから敢えて一歩引いて、あたかも「自分の手のひらの中で」進化を想像してみるということにおいて理論を考えることはとても重要だった。その点でこの本はすごく良かった。あまりにもハマって自分の思考法のコアになってしまったため、後続の類書の良書というとなんだろう? と考えることがもう難しくなってしまうぐらい骨絡みになってしまっているため、最近の本をここで挙げることができないのが申し訳なく思う。

このブログをお読みの方で、『進化論という考えかた』の生態学的地位(ニッチ)をリプレースするような本をご存知の諸賢は是非以下のお問い合わせフォームからご一報いただければと存じます。私が読みたいです。

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煽られたのがきっかけ

高校時代の部活の後輩に

先輩は生物のこと何も知らないのに生物学科に行くんだからこれでも読んで勉強してください

といわれて勧められたのがきっかけだった。えらいマウントポジションを取られたものだ、といまにしては思いつつ、同時に、当時を振り返ると、あれは正しかったな、と思う。本当に何も知らないで行ったので、散々な目にあったし、今もそうなのかもしれないが、生来の鈍感でなんとか生物学者のツラをしている。しかしそれにしても、そのマウントポジションで口に突っ込まれたような流れで読んで、そのまま進化生物学を専門にしてしまったわけで、それで日本を離れて深夜に思い出に浸っていたのだから20年という時間を思う。


「ポータル」としての『進化論という考えかた』

『進化論という考えかた』は「ポータル」としての機能を果たした。レビューを眺めていて改めて気がついたが、『「読まなくてもいい本」の読書案内』でもブックガイドに挙げられていた。
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『進化論という考えかた』が良かったのは、上であげたような『進化と人間行動』や『ダーウィンの危険な思想』のような発展的な読書へのガイダンスにもなっていた。そうしたリストは(手元にないのでわからないが)いま読んだら明らかに古びているだろうが、しかし『ダーウィンの危険な思想』『進化と人間行動』がともに新装または改版されていることを見ても、ある程度は古典が載っていると思う。そういう意味でポータルとしての存在感は幾分かまだ残っているだろうとは思う。

(本記事はTwitterのスレッドに書いたものをリサイクルするものです)

*1:自分の意識ではとりわけ進化発生学[エボデボ]と思っているが、これは他の生物学者からすると「お前がエボデボ?」と言われることが容易に想像できるような研究テーマなのであまりおおっぴらには言っていない。細かいことを言うとどちらかというとゲノム進化学の経歴のほうが長いと思う。ただ、そういうゲノム進化ということをやってきたとはいえ、その間も常に、生物の成長過程などにおける遺伝子発現の共通性と多様性を見据えてきていたという意味で、常にエボデボを目標にしてきていた。発生学embryologyというものが歴史的に、多細胞生物の形態形成過程を記述するものであったということは無論承知しているのだが、定型的とはいえないかもしれないがわたしなりの理解では、発生学embryologyが発生生物学developmental biologyへと発生していくのと同時に、成長過程の分子生物学的内実を明らかにするという側面が強くなったと考えている。そしてそうなると、例えばわたしのコトとしている有性生殖における性決定機構というのは、多細胞生物のみならず単細胞生物においてもまさしくあてはまるものとなる。更にそれが進化のタイムスケールの中でいかに変化したということを追う(実際にそういう題目を掲げている)というなら、これを進化発生学と言わずしてなんというのかと考えているし、そうした研究テーマで申請書も受理されてきている。