殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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「エッセイ」の語源

ここ数年は読む本がエッセイに偏っている。自分でもなにか書きたいなと思っているがなかなか果たせないでいる。果たせないでいるというか、日ごとのペースで少しずつ紙に書くようにしている。それがエッセイとなるかどうかはひとまず棚上げして、ただ、念頭にあるテーマに関連して頭から出てくる文章を書き留めるようにし、文章の流れをつなぐ。ただそのときにランダムの「お筆先」にはならないで、ひとつのテーマを追いかけることを心がけている。文章を書けば次の文章がいくつか思い浮かぶがその中から次の文章を書いたり書かなかったりする。ただその時にテーマにハマらないことは書かない。できる限りテーマに沿うことを選んでまた次の文章を重ねていく。その文章の流れを追いかけてページが埋まるまで止まる様にするというのがこのところの実践である。

Essayという英語の名詞、あるいは動詞は語源をShorter Oxford English Dictionaryでたどると、assayという別の英単語の動詞の異体としてあると知る。アッセイといえば生物学では一般的な動詞や手法の名詞で、生物現象のことをある類の方法で調べる時にアッセイという。例えば何かの生物分子を検出する時に免疫学的手法を利用したものをイムノアッセイと呼ぶことがある。そういうように、何かを調べるということだ。

英単語は遡っていけば古フランス語を経てラテン語に辿り着く場合が珍しくないが、これらessay=assayも同じで、ラテン語のexagiumという、重さを計る「計量」という名詞に行き着く。このexagiumはさらに、exigereという動詞に行き着くが、これは「ex- + agere」に分解できるらしい。exは「過ぎて」「外に」というのがあるのはわかるが、agereは「やる」という動詞のようで、exigereだと、やり切るという意味なのか「完成する」とかがある他に「調べる」「計量する」という意味もある。これらの行為が一つの語で表現されていることに割り切れなさがあるが、推測すると、古代ローマの当時は天秤を使っていただろうから、片方に対象を乗せておいて、もう片方に分銅を足していき、釣り合うところまで乗せ切ったところで「計れた!」という感じを持ったのだろうかと思う。英語でもこのexigereから来た単語はexactやexamineなどに残っているのが容易にわかる。つまり、こういうexigereに由来する英単語の中ではessayはだいぶ姿が変わったものであるらしい。しかしながら、文章を重ねて、己の考えを現実の描写と「釣り合う」ところまで持っていく感じはかろうじて残されている。

もちろんエッセイというものの典型がモンテーニュの「随想録」にあることは知っていて、さらにいろいろな哲学書、例えばヒュームなどにも「道徳政治文学論集」というものがある。だから単に「徒然なるままにひぐらし硯にむかひて……」という字面が現代の我々に与えるだけの印象のものではなく、どちらかといえば「つれづれ」というよりもむしろ「つくづく」という形容の方が近い、熟考の趣が強くなる。もちろんモンテーニュやヒュームの当時も定番の論立てというものはあっただろうが、色々眺めていると今の定型とは完全に違う。あと、当時の定型にやや緩い感じも受けてきたから、その面で、形式の面で言えば、どちらかといえば今のエッセイに受け継がれている様な部分もあるとは思う。


このエッセイessayという語はどこから来て、そしてどういう語が類縁関係にあるのだろうかと考えるのは、語にある程度興味を持って生きて考えてきた私の様な人間にとっては不治の病の様なものである。ただ、語源を追うのに正式な教育を受けたことはなくて無手勝流にやっているに過ぎない。本式の人が使うような語源辞典も知らない。無手勝流なので、手持ちのShorter Oxford Englsh Dictionaryのアプリ版を、例えば歯磨きをしながらぼんやり検索して「へー!」ぐらいの感想を得るばかりである。