殺シ屋鬼司令II

読書と研究について書いてきました。最近は万年筆で書く快感にひたっています。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

就職活動の頃、「競争的なビジネスの世界で自分の力を活かす」云々ということを言っていたように思います。
これは単純にウソです。本音は「アカデミズムでは金が入らないから結婚できない(でも結婚したい)から働きたい」というものでした。現状はアカデミズムのほうでこそ相当に露骨な競争があります。この類のウソ、あるいは隠蔽は、理学部の宣伝パンフレットには、理物を卒業したコンサルタントが登場し、「日本の産業をサポートしたい」と宣っていました。そしてその言葉には当然隠された条項が存在しています:「金が欲しい」。
アカデミズムで培った能力はアカデミズム以外では垢のようなものです。その意味で「垢出見済ム」とか「垢出見棲ム」とさえいえます。弾かれた者は、ひょっとするとプー太郎にならねばならないかもしれません。弾かれる者の方がおそらく多いといえます。そして弾かれた者を拾う皿というのは、卓の上では見えていないだけで、意外にあるのかもしれません。皿に拾われた者たちは、コンプレックスとルサンチマンを抱えながらも、生きることができてしまうかもしれません。
生涯プー太郎を続けながら、それでも伴侶をもつ人はいて、その人のことを私はある程度知っています。「金が入らないから結婚できない」というのは、統計学的な傾向としてあるでしょう。そして金を持たない人間は実際にがっくりと肩を落とし続けるでしょう。伴侶選択関数は、確率項と代数項によって構成されます。金を伴侶に求める人間は、代数項にかかる比重(定数)が大きいでしょう。
私は金に困ることなく、私がいつでも心から求めている知識というものを手に入れ続けてきました。知識を手に入れること自体を喜びました。また、その知識が応用できたときも喜びました。一方で金というものがわかりません。私の金は即座に本に変わっていました。こうした行動を認めない人が必ず存在します。
「大学教授になる方法」あたりでは、単純にいって、一つの分野に10年いそしめ、と説かれています。
自分なりにブレイクダウンしてみます。アカデミズムで生きて尊敬を集めている、ある人の能力の8割は知識です。あとの2割は行動規範=(倫理と仕組み、ルール、夢、妄想、決意)のようなものです。
ディシプリン、というのは、学の知識の公理系のようなもので、知識に類別されます。1年も集中して勉強すれば知識はおおかた身に付きます。学の営みとは、知識を再生産すること(能力の8割)でどう喰うか(2割)、ということです。喰うためには時々、本当に垢のように説明しがたいテーマに取り組むことがほとんどです。幸い私は非常に小さい知識の再生産をなしとげるだけでも喜ぶことができます。問題は、小さい問いを積み重ね、大きな問いに取り組むことです。
たとえば茂木健一郎という人は科学者です。クオリア説と呼ばれるアプローチで意識という大きい、大きい、謎を解明できるのではないかと公言しています。もちろん解けていません。一方、茂木がアカデミズムで行っている研究は、神経の発火パターンという、ごく小さい問題です。アカデミズムの外側の人たちにはこれを背任と呼ばわる人もいます。曰く、「茂木がソニーコンピュータ研究所でポストをもっているのはクオリア説で意識の問題を解こうとしているからだ。なのに全く進展しているようには見えない、背任だ」と。私は背任だと考えません。ある意味で企業の研究所とはそのようなものです。そうした、ほとんど根拠があるとは思えない夢も、金がある限りあって構いません。茂木とは別に、おそらく意識の問題は、アカデミズムとは離れて、美国の軍の研究所で解明されつつあるでしょう。
能力の2割の「喰う技術」としての行動規範は、知識に遅れて身に付きます。本当に「身に付く」という感じがします。行動規範が身に付くためには時間がかかるものであるようです。私も生物学を始めて4年、なおようやくその端緒についたところです。「大学教授になる方法」に出ている10年という数字に、実感がわきます。