殺シ屋鬼司令II

世界一物騒な題名の育児ブログです。読書と研究について書いてきました。このあいだまで万年筆で書く快感にひたっていました。当ブログでは、Amazonアフィリエイトに参加してリンクを貼っています。

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twitterについて

Twitterが日本語に公式対応した。
私は2007年10月にtwitterにIDを開設した(thinkeroid名義)。それ以来、半年強にわたって毎日twitterにコミットしている。ブログの更新が滞っているのはこの為であろう。私がtwitterを楽しんでいるもいえるし、ブログ(ウェブ日記)という形で私が試みてきた行為がtwitterでいちばんうまく実現できているともいえる。フィットしたのである。
日本語化はおそらくtwitterのシーンを着々と変えていくだろう。そんな変化を多くの人がスムーズに体験していければいいと思って、私自身のtwitter像を書き留めておく。@ナントカというのは、twitterの風習で、誰かユーザを指すときに使う記法だ(後述)。なおユーザは人だけでなくbotの時もある。

twitterとは何か

ミニブログ」ブームのさきがけである。「今なにしてる? What are you doing?」をコンセプトに、ブログのエントリを立てるまでもない一行の書き込みを蓄積するために設計された。2006年のことだそうだ。
もともとの使い道としてはどうやら、各人のブログにバッジ(サイドバーなどに表示する小窓)として貼り付けることだったような雰囲気がある。全般的に相当なまでに気の利いた機能のないtwitterだが、このバッジはオフィシャルに提供されている。
「いま何してる?」だから、些細な行動を書き留めていくにはちょうどいい。それがいつしか「いま何(考え事)してる?」になり、短い断想のようなものを書き留める人も出てきたのだと思う。
そもそも米国のブログというのは全般的に「重いテーマ」「長い記述」という、ちょっとしたコラムである。ちなみに、その点で言えば極東ブログはあちらのブログそのままの形式を踏襲しているといえるだろう。Web日記という使い方はむしろ少数であったとかいう話を記憶している。重い記述を毎度毎度ブログで展開している中で、ちょっとした行動を書き留める場としてtwitter=ミニブログが登場し、ブレイクした。
一方で日本ではもともとWeb日記の文化が脈々とある。日記という名前のゆえに表立って広まることがあまりなかったのが、たまたま「ブログ」という無味無臭の名前でくるむことでユーザーが爆発的に増えたのだという話がある。この点については「ウェブログの心理学」を参照してほしい。ただ、細かい行動をちょこちょこと記述するのにブログを使うのはやはり大仰だ。一行だけでいい。というので、twitterでやりとりされる発言のかなりの割合が日本語によるものであるという。その理由のひとつはこの「Web日記」文化以来の伝統ではないかと思っている。
以下では私が半年間twitterにコミットしてきて見聞き考えたことを思いつくままに述べる。

視界を自分がつくる

Twitterでは、他のユーザーを「フォロー」することができる。自分の発言集と、フォローしたユーザーの発言集が、時間軸に沿って流れている。発言集はタイムラインと呼ばれる。フォロー人数はさまざまだ。私は2,000ユーザーほどフォローしている。多くの人は数十から数百ユーザ程度のようだ。
私はこれを「自分の視界をつくる」という言い方をしている。だが、考えてみるとちょっと説明しづらい。ブログとRSSリーダを例に取ろう。自分のブログには基本的に自分の書いたエントリが並んでいることが多い。各エントリにコメントとトラックバックが連なって、ほかのユーザー、ほかのブログと連携していくことができる。ではこのほかのユーザーのコメント・トラックバックに自分のエントリと同じインパクトで入っていたらどうだろうか。そういうのはRSSリーダのようでもある。RSSリーダはいろいろなブログやサイトのRSSを自分で取捨選択する。日経新聞の記事と誰某のブログときょうの運勢とがいっしょくた・ごったまぜに混ざっていく。「いつも見ているいくつものサイトを一箇所にまとめて閲覧する」、これが「自分の視界をつくる」ことの典型である。
こういう「視界づくり」をユーザが各々おこなっている。ということは、ユーザごとに視界が異なるということである。@lalhaのブログ記事で「速読と精読のtwitter」というものがあった。私自身そのエントリによってtwitterに興味を持ったし、それでこそ積極的にフォロー数を増やし続けてきた。@lalhaはなんだかんだ言って数十しかフォローしてないじゃん、それじゃtwitterの面白さわからんよ、という挑発を私も間に受けてせっせこせっせこフォローを増やした。気がつくと挑発した当の本人がフォローしている数はとうに越えていた。
さらに視界を多様にさせているのがプロテクト機能である。これは、自分がフォローしているユーザにしか自分のタイムラインを見せない機能である。当然ながらtwitterユーザ以外にも見えない。たとえば「分裂勘違い君劇場」で知られるアルファブロガー「奥野」氏は自分のタイムラインをプロテクトしている。私も彼からフォローされていないので読めない。実はかつては相互フォローさせてもらっていた。しかし、ある日読めなくなっていた。私のフォローは「ブロック」=強制断線され、彼からのフォローはなくなった。彼の発言は刺激に富むので、読めないのが非常に残念である。Twitterをやっていると、こういうことがときどき起きる。こうして、あるユーザの発言を読める人と読めない人とができてくる。こうした小さな差が蓄積されて、大きな多様性に結びついている。
そしてこの視界の多様性こそが、他のサービスでは決して実現できない大きな特徴をtwitterに与えている。炎上の困難さだ。

炎上しないtwitter

長年のインターネットユーザは、2chをはじめとする掲示板、ブログ、mixiで炎上現象が起きているのを何度も目撃しているはずだ。それぞれの炎上はほんの些細なことにすぎないことが多い。そんな些細な何かが誰かを刺激し、おもしろがる人間が現れて炎上する。炎上はやがて沈静化する。多くの場合、炎上の対象となったサイトのオーナーは深く傷ついてしまう。
Twitterでどうして炎上が起きないのか」という疑問を抱くユーザは少なくないようである。おおむねtwitterは発言にかかるプレッシャーがきわめて低い。これはほとんどの場合何の問題もないし、そのプレッシャーのなさがとても心地よい。ただし、その分だけ不用意な発言も時折出る。「これはまずいなー」と思う発言も時々見える。それでもあまり炎上という盛り上がり方を見たことがない。
祭りはときどきある。メッセアド晒し、Skype ID晒し、本棚晒し、等々。私もそういう祭りで結構Skypeのリストが増えた。だが、これもすぐに終息していく。
核心を突いたなと思った意見を紹介したい。@eseharaが時折開催したウェブストリーミングラジオの公開生放送企画が2ヶ月ほど前にあった。そこで、@matakimikaさんが以下のように仰った。炎上のためには今北産業が必要なのだ。しかしながら、twitterは一行しかない、と。
今北産業というのは、これまでの経過を三行でまとめて教えてくれ、ということだ。その経過を野次馬たちは参照しながら火の手を広げていく。しかしtwitterでは簡単ではない。「一行しかない」というのは或る程度レトリックかなと感じてはいるのだが、この意見の核心は要するにtwitterの発言はまとめられないということだ。後述するように確かにtwitterの発言をまとめて提示することは不可能ではないし、私もよく発言をまとめてtumblrに掲載している。しかし、そのまとめ方すらもtwitterにおける「多様な視界」の中では不十分なことが多い。まとめが不十分だと、既出ネタが増えてくる。そして野次馬がだんだんしらけることになる。誰がどの発言で話題に言及しているのか不明な場合が少なくない。こうして炎上は果たされないまま話題は別の方向へ向かっていく。
議論のようなこともtwitter上ではたびたび起こる。興味深く刺激的なこともあれば、きわめて不毛で見ていて痛々しいときもある。そのたびに、前者は続いて欲しいと思うし、後者は早く終息して欲しいと願う。どちらにせよ盛り上がることはよくあって、そういうときに「おはよー」「ただいまー」「おやすみー」などのあいさつが入ったりすると、何となく場がしらけて議論の続きがどこかへ行く。議論が脱臼してしまう。

(2019/10/11追記)10年以上の時間が経った。いまはそりゃあもう毎日のようにそこかしこで炎上している。自分の先見の明の無さばかりが感じられて恥ずかしい。ただ、そういう時期があったということの証言ではある。そしてその時期は確かにある程度はこの記述が当てはまっていたということも、ブクマをご覧になっていただくとわかってもらえるかもしれない。

あいさつが人を救うらしい

「いま何してる」がコンセプトなものだから、twitter上では毎日、朝は「おはよう」「いってきます」、夕方・夜は「ただいま」「おやすみ」がタイムラインに並ぶ。これを嫌うユーザもいるようである。あいさつはときどき意識してするようにしている。もらったとき嬉しいからである。

発言が他人に読まれている実感を得られる

くだらない発言をしたりつまらない発言をしたり、はたまた「これぞ真理!」と気負いこんで発言をする。反応はいろいろである。
一番わかりやすいのは名指し、つまりユーザ名に@をつけて@thinkeroidのように発言する「@リプライ」をいただく。「ああ読んでくれているんだわかってくれたんだ」というのは素朴だが悪くない気分である。
また、@plusplusbotというものがある。これは「笑点」のざぶとんのようなものだ。「ユーザー名++」や「ユーザー名--」のように、各ユーザのスコアを上げたり下げたりしている、ようである。私もあまり詳しくない。
あるいは、さまざまなユーザの発言のうち気に入ったものをチョイスしておく「favorite」という機能がある。私であればhttp://twitter.com/thinkeroid/favorites を見ればよい。このfavoritesをまとめて表示してくれるのが「ふぁぼったー」である。私の発言に対していただいたfavoritesのまとめはこちらにある。
また、はてなスター http://s.hatena.ne.jp/ も対応している。スターをつけられた発言は@starredがまとめているようである。
そうして有名なのは以下の五種類のユーザである。

それぞれ固有名を出すことは控えさせていただく。

クライアントがないとやってられない

twitterはそのユーザ数とAPIの利用可能性とが相俟って、関わり方の選択肢が多い。大きく分けた利用形態としてブラウザ、専用ソフト、Instant Messenger (IM)の三つがあるといえる。

ブラウザ

まず頭に浮かぶのはブラウザからのアクセスだろう。http://twitter.com/ を開いていけるところだ。これも、PCのブラウザだけではなく、携帯電話用のブラウザからアクセスできる (http://m.twitter.com/) 。こうした公式アクセスに加えて、携帯電話では、ブラウザからもばついったー http://movatwitter.jp を使う人が多いようである。さらに別の携帯でのアクセス方法としては、http://tw.ah-huh.net/ というのがある。これは開発者ご本人談ではauのケータイに特化しているとのことであった。
私自身は最近では携帯ブラウザのトップをm.twitter.comに設定してある。何か思いつくとそこに書き込む。

専用ソフト

相当数の人たちがTwitを使用している。これはwindows専用だが非常に高機能なソフトである。Twitter API (application program interface) つまり、(人間ではなく)ソフトウェア専用にtwitterが準備してある「裏口」を利用して発言等を取得したり、発言したりすることができる。ブラウザではいちいち更新しなければいけないが、apiを何十秒に一遍、自動で取得してくれるtwitは必需品である。同様のソフトとしてP3:peraperaprvというものがある。
専用ソフトでも、APIをつかわずtwitter.com/homeを直接読み込んでHTMLを解析し、発言ごとにまとめて表示するTweenというものもある。表面上はほぼ同じようなものにしか見えないが、APIを使わないと言うことの意義は意外に大きい。これは後述するが、API経由かそうでないか、両方を使えるようにしておくことは非常に望ましい。加えてIMも利用できるとすばらしいと思う。
Internet relay chatを通じて使っているひともいるらしいが、私はそれを使っていないので何ともいえない。

IM

私が昨年の10月に使い始めてから一貫して利用しているのがこれだ。Twittergoogle talk (Gtalk)、つまりGmailのチャット機能を経由してタイムラインを読み、発言を書き込むことができる。APIのように数十秒に一度発言が更新されるのではなく、ほぼリアルタイムに近いタイムラインが実現される。この時間感覚はほかのアクセス方法では非常に困難である。
各種IM専用コマンドが利用できるのも魅力だ。IMの発言窓で”HELP”と入力すれば、利用できるコマンドの一部がわかる。よく使うのは

  • track abracadabra
    • “abracadabra”という単語を可視タイムラインから拾い出す。可視タイムラインというのは、ブロックしていない公開ユーザ全て+自分をフォローしている非公開(ブロック)ユーザのタイムラインの総体ということだ。
  • get somebody”
    • somebody(ユーザ名)の最新発言を表示する。
  • fav somebody
    • somebody(ユーザ名)の最新発言をfavoriteする。
  • w somebody
    • somebody(ユーザ名)のプロフィールを表示する。

もう一つの特徴として、IMに表示されたタイムラインは自他ともに保存することができるということだ。ここには二つの難点がある。

  1. IMクライアントを起動しているあいだの発言しか保存されない。だからもし自分のタイムライン全てを保存しようと思ったら、PCをつけっぱなしにしておかなければいけない。実際私もやってみていた。昨年暮れからこの3月にかけて、私の部屋のノートPCはつけっぱなしになっていた。IMだけだとスリープに堕ちてしまうのでTwitも同時に起動していた。ちなみに、このノートPCが私の自慢の所謂「寝たままPC」である。
  2. 保存された発言が大量になるとチャットログ自体が表示困難になる。当然データとしてはメールボックスのチャットフォルダに残っているわけなのだが、如何せんつけっぱなしなもので、Gtalk側でもどこでチャットタイムラインを切って保存すればいいのかわからない。ひょっとするとチャットタイムラインを切るワザがギークたちのあいだにはあるのかもしれないが、私には技術がまだないので、できなかった。何日分ものタイムラインが保存されるので、ひとつの区切りが一万発言分などになっていて、表示できない。これはもう笑うしかなくなった。それでも、Gmailはほぼ底無しの空き容量をたたえているので、データ量としてはそれほど圧迫的ではない。

もっとも、タイムラインに流れてくる発言も玉石混淆であるから、保存する必要のないあいさつなども保存している必要はない。そして、保存したいと思う発言は頭の中にしまうかfavoriteするかtumblrに放り込むのがいい。こうして、今はIMタイムラインを保存していない。「オフレコ」というようである。
IMに表示されるのはフォローしているユーザ全てではない。”Device update on”と指定したユーザだけがIMのタイムラインに載る。だから自分のタイムラインの中でも選択をかけることができるということだ。ここに私のフォローイング数の秘密があった。暴露してしまうと、IM保存をやめた3月当時でも私は1,000ユーザほどフォローしていたわけだが、IMに表示させていたのはほんの一握りであった。30ユーザぐらいだ。自分宛の@リプライは、”track thinkeroid”を利用して拾い上げていた。これが私の「精読タイムライン」だったのだ。1000ユーザ分のタイムラインを24時間保存していたらいくらなんでもパンクする。幸いにも、こうしたdevice update設定は他人には感づかれることはあるにしても知られにくいので、指摘されることはなかった。ヘンだと感づいたユーザはいたようである。1000ユーザもフォローしていてどうして即リプライができるのか、と言われ、私は「botだからですよ」と嘯いたが。現在ではIMタイムラインを保存していないので、気がついたところからユーザのタイムラインをIMに上げるようにしている。また、APIが一度にはき出す発言20個の上限を超えてタイムラインが活発化することが多くなったことも一因である。要するに、私のタイムラインには一分間に20を優に超える数の発言が流れているということになる。万物は流転する。

不具合が多いと感じる人が多い

Gihyo.jpだったと思うのだが、twitter紹介記事が連載されていた。最終回はたしかアンケート結果の発表だった。そこで散見された「不満な点」が、もっと安定を、だった。安定志向の日本人である。というのは冗談だけど、たしかに不具合はあるし、メンテもよくある。日常的に起こるのは「遅延」で、APIタイムラインとWebのタイムラインとIMのタイムラインがずれるということが一週間に一回はあるかもしれない。
とはいえ、これは目立つtwitterユーザが非常に長い時間twitterの前に張り付いているから、それだけ多くの不具合を感知するのではないかとも思ったことがある。マーフィの法則とも近いか。卒論提出間際に限ってHDDが逝ったりプリンタが崩壊したりする。それは、普段マシンを使っていないのに卒論の間際はみっしりPCを使うから、それだけHDD/プリンタのアクセス機会が増大する。不具合=故障率Xアクセス回数という単純な等式を思い起こせば、理の当然である。
それでもメンテはどうしようもないから、多くの中毒者たちは「退避」する。それははてなハイクであったり、Jaikuであったり、feecleだったりするのだろうと思う。こうも大勢が不満をたらしているのを見ると退避したままそのまま消えるユーザが頻出しても良かろうが、ただ、どのサービスもtwitterの素っ気ないシンプルさには勝てず、結局多くのユーザはメンテ終了後再び戻ってくる。

オフ会はたのしい

2008年1月の末に@vjsakura主催「第一回たこやきオフ」に出た。それ以来ゴールデンウィーク末までになんだかんだで19回出た。一週間に一度のペースである。
私自身は大学院生なので、勤め人と絡むことはほとんどない。同世代、たとえそれが大学の同期であっても、なかなか予定が合わないものだ。ところがこのtwitterのオフ会というものは逆で、「都合の合う人間」が集まってくる。当然である。私などは当然だいたい初対面だった。東京にいるから感じるのだろうけれど、「いま(どこで)何してる」というのはオフ会に直結する。「近くに来たから」というので「人数空きありますか><」みたいにして乗っかっていく。迷惑だったりするのだけど、いつからかわりと気にしなくなった。
私はとてもシャイな人間で、人付き合いが下手だ。空気も読んでみるけどいつでも風に飛ばされる。そんな私だが、twitterのオフ会に出て、別にそれでもいいんだな、と思った*1Twitterのつぶやきを見ていればわかるが、だいたいひとりごとである。無意識的にか意識的にか、みなそういう性向を持っているのを了解して受け入れている。これがありがたかった。そうしてオフ会に出たり、発言をしているあいだに、私自身の性向もほんの少しずつ変わっていったように思う。
Twitterはサロンのようなものだ、と@raituは書いた。同様のことを皆思っているとおもう。私のイメージは、TFM系列のラジオ番組「Suntory Saturday Waiting Bar “Avanti”」である。いろいろなひとがいろいろなことをしゃべっている。ときどき聞き耳を立ててみたりする。ため息をつく。等々。孤独だと吐き捨てる人もあるだろうが、孤独を引き受けてなんぼのもんじゃいとも思う。

アラートとしてのtwitter

twitterをやっているとテレビの番組が話題になることがある。この間は、「耳をすませば」がテレビで放映されていて、多くのユーザがそれぞれの思いを抱えながら見ているのをtwitterに書き込んでいた。ニュースでも、長野で行われた聖火の実況を@inumashのWebストリーミング放送を通じて多くの人が見ていた。互いにタイムラインで教え合うのである。
あるいは個人のブログのアラートにもなる。最近では、@kasoken(工学部広報の中の人だ)のブログ更新を知って見に行ったりもした。
@train_kantoは、関東圏の鉄道運行状況を逐一教えてくれる。若干遅いのだが、現に「止まった!」という人が@リプライで最新情報をupdateでき、その発言を@train_kantoがフォロワーたちに伝えるという機能がある。何度お世話になったかわからない。

自分のタイムラインは自分で自由に変えられる

最後に私の信条を確認しておく。Twitterのタイムラインは自由だ。たとえ嫌がられようとも好きなことを好きなだけ書くのは自由だ。フォロワーのタイムラインから削除され、ブロックされ、影響力を失うだけのことだ。誰をフォローするのも自由だ。他人をタイムラインから削除し、ブロックするのも自由だ。やめるのも自由だ(悲しいけど)。*2
私はtwitterを暇つぶしのためにやっている。暇つぶしに過ぎなくても、何か刺激が、何か楽しみが、何か変化があれば素晴らしいと思う。

このエントリの本当の意図

ブログユーザーが増えてブログがコモディティ化する中で様々な軋轢が吹き出たように、twitterでも衝突が起きるかもしれない。そんな衝突を私は見たくない。はてブで何度も繰り返された直リン紛争とおなじような出来事が起きないとは断言できない。そのために私は非力ながら予防線を張っておこうと思った。
以上が、私がtwitterに関して普段考えていることのほぼ全てである。
追記:Direct messageで個人情報をやりとりする時、伝達完了したら出来る限りTwitter上からは消すようにするのが望ましいと私は思っている。Twitterは時々、赤の他人のDMを暴露してくれたりするから。ちなみに、送信者側で削除すると受信者側でも消える、逆もまた真なり。これはTwitterの黒い部分で、数ヶ月に一度あったんです。その現象を体験した人や、リアルタイムでそういう現象があるらしいと知った人も改めて言いませんね。自分の個人情報だし、「DMは**日で消す」旨伝えると親切かも。2009/06/08 17:00
執筆メモ

*1:feecleのオフ会はそうではないらしいと、友人談。「みんな結構話のできる人でとてもよかった」と満足していた。それはそうなのだろう。

*2:自己責任については、何度でも書くけれど、自己責任論者が批判されるのは「ほかに選択肢がないのにもかかわらず自発的に選んだことにさせる」からだ。ただ、多くの場合選択肢はいっぱいあって、オルタナティブはこのご時世どんどんオープンになっている。だから今回もおそらくそうした批判は「バカ」の一言の下に切り捨ててかまわないだろう。