Twitter断ちをします。
ほんとうは4月にやろうとしたのですが失敗しました。やりたいこと、やらなくてはいけないこと、そうしたことが多すぎて時間ないのでTwitterを見ている暇がない。Twitterをやるために生きているわけではないよなという当たり前のことに気がついたのでした。そう気がついた時、アガロースゲルを2分間レンチンしていたのですが、その場ですぐに携帯からTwitterアプリを削除して、ブラウザからもログアウトしました。その後その日のうちに、すべてのブラウザとすべてのTwitterアプリを削除しました。正直、依存だったと思います。依存症についてはいくつかの本を読みましたが、特に印象に残っている本はセックス依存症になりました。<決定版> (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)だったと思います*1。そこでは、しらふでいることの重要性や、イネイブラーの存在、それから信仰さえも利用するというやり口が描かれていました。5月を、Twitterなしでやる。それがまず、しらふということですね。「ツイートしない(見ることはする)」だけとかでは不十分でした。あるいは、iOS、macOSのスクリーンタイムで時間制限を設けることも、かつてやったのですが、全く無意味でした。そもそもTwitterなしの生活というのをそのものを構築していかなくてはいけない、ということです。つまり、行動する、そして反応が返ってくる、というループを根本から断ち切らなくてはいけない。そして薬物依存症のひとが、ねほりんぱほりんのような番組で言っていたかと思うのですが、そんな生やさしいものじゃないんだと思います。いつでも戻ってしまう。だから、今日一日だけやらない、それをずっと続けていく。そういうことでしか、依存症としてのTwitterには付き合っていけないのだと思います。
多分ないと思うのですが、もし仮にあれば、ご連絡はブログのリンクから「お問い合わせ」までお願いします。