それでみな俺に酒を勧めるのか

はてぶの読書の注目リストにあった遙洋子の「届く男性、届かない男性」を読んでいて、酒席についていろいろと思った事があった。
遙は、自分の著書への男性による過剰適応に苦言を呈している。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20060620/104726/
著書に書いてあったからフレンチやイタリアン。「相手の飲み物を注ぐ」という話が出た途端に注ぎ始める。遙は、そんな性根の貧しい行動にあっけにとられている。

そこにセクハラ発言や、酒を注ぐのは女の仕事、という発想さえなければ、別にどんな食事会でもOKなのだ。鍋でも焼肉でもいい。そして、私自身せっせと男性に酒を注ぐことが苦痛ということでもない。しかし、だからといって注がれるまでじっとなにもしない男性がいたら、「それは違うでしょ」と思う。

このくだりを読んだとき、なにかが目に浮かんだ。
私はひとの酒はときどき注ぐがあまり気のつくほうではない。
一杯をようやく半分ぐらいまで飲んで放っておいたまま話したり食べたりしていると、ときどき酒を勧められてとても困ることがある。私は下戸なのである。
その下戸の私にときどき酒を勧める人がある。男性も女性もある。
年上だったらただのアルハラなわけで、単に迷惑なのだが、年下とか、アルハラ的でない人だと、ちょっとすまない気分になる。後輩だと「先輩に酒を注ぐのは後輩の役目」、女性であれば「男に酒を…」という「社会通念」というようなものが見えて、複雑な気持ちになっていた。
それで、きょう遙の一文を見て思った。ああ、俺はひょっとすると、「注がれるまでじっとなにもしない男性」と見られていたのかもしれない、と。
「ハマヂってザルだと思ってた」という、よく見ればひどい言葉を、何度浴びせられたかわからない。
その、ザルっぽい男が、グラスが空いて、溶けた氷をすすって、ときどき氷をかじっていると、ひょっとすると周りは、「あ、この人は、誰かが気がついて酒を注ぐのを待っている、注がないから怒っている」と思うのかもしれない。

  1. グラスはやっとの思いであけたのだ。
  2. 溶けた氷をすすっているのはただの癖、新しいグラスを注文するなんて、考えるだけでも苦痛だ。
  3. でもクチサミシイので氷をかじる。
  4. もともと不機嫌そうな顔である。

ちょっと考え過ぎかもしれない。