目覚めにアール・ナイチンゲールの録音を聴く

77歳予想図

昨夜iTunesで入れてあったアール・ナイチンゲールの録音を聴きながら、半分もいかないで眠っていたので、今朝目覚めにまた再生して、起きた。
これは以前日経ビジネスオンラインで紹介されていたもので、オーディオブックをAudibleで購入してあった。
いま、自分が新しい環境にあることもあって思い出したのである。
クレジットカードの年会費を払わなくてはならなかった。まだこのカードでは買物もしていない。支払いには小切手が必要という。難儀だなと思いながら、小切手を取り出した。
明細書を見てみるとオンラインでも支払えるとある。カードのサイトをチェックするとそうなっており、routing number(銀行コード)と口座番号を入力して、手続日を指定すると、"pending"となった。これは夕方には"Accepted"となっていた。
昼の前後は、先週受けた、安全講習会の宿題(提出課題)をこなしていた。研究所の安全管理課のサイトにアクセスし、問題文を検索しながら辿っていった。
Macbook AirにしてもiPadにしてもiPhoneにしても、異邦でこうしてマシンのたすけを借りながら生きていると「ハーネスする」という感覚を強く持つ。それは、語用では「自分が・マシンを・ハーネス(利用)する」という意味でもある一方で、身体的に装着するブレーサーのようにも感じて、また、同時にそれに縛られるという意味も嗅ぎつけている。
実験は、まだ前進というようなデータは得られていない。長い長い準備の途上で、という前置きをつければ、確かにそれは前進している。経験がないままに計画したことを、着実にこなして経験に変えつつある。また、経験がありつつも、以前とは異なった環境・設備でどうこなしていくかということも、おずおずと計画している。
「リブート」や「いまひとたびの」というキーワードが脳裏を去来しながら生きている。
「ほぼ日」の石井裕先生の記事を傍見に読んでいた。先生は日本を離れて16年、日本語を忘れたと冗談めかしてか言う。
日本語を忘れること、それはとても大切なことだとおもう。
石井先生は明確に「コンセプトドリヴンです」と言い切る。それは、3年ほど随所で読んだり、あるいはトークセッションを聞きに行ったりして気がついていた。
改めて考え、技術革新ではなくていわば「枯れた技術」の運用によって戦争が質的に変化していったことを思い起こした。
また別のことも考える。
ちょうど現在、3Dプリンタ技術がWIREDで話題にあがることがたびたびある。オンラインのメディアで自分にとって最も価値の高い情報はWIREDから来るなと感じることが多い。いまも、Face retirementというサイトが紹介されているのを試したところである(写真)。
そのWIREDが取り上げる3Dプリンタがこれからメジャーになるかならないかということを、ひとは論う。
しかし、日和見は詮ない。
最終的にそれがどうであれ、楽しいと思うなら使えばよろしい。必要だと思えば使えばよろしい。
おそらく「次世代シーケンサー」でもそうだった。
使う機会(つまり「機械」)があっても、あれこれの理由をつけて見送ったひとがあった。私はまさにそうした、見送った人間のひとりだったと気がついたのは昨年のことだ。あのとき乗っていれば今頃と、呆然の日々を過ごした。