Twitterにmixingaleがイタリア人の食習慣のことを書いていた。
イタリア人的にボロネーゼにスパゲティーニを使うのは絶対にありえないらしい。「どれぐらいありえないかっていうと夜にカプチーノを飲むのぐらいありえない」そうなのなのだが、その喩えがどれぐらいありえないのかを理解するのにもまた別の喩えを必要とする。
— Kohei Kawaguchi (@mixingale) July 9, 2018
「なんで午後にカプチーノ飲んじゃダメなの?」イタリア人×3「ミルクは軽い食事で、軽い食事は朝のものだからだ」「ダイエットのために全部軽い食事にしたい人がランチとディナーに食事なしでカプチーノを飲むのはあり?」「なし」「なんで?」「そんな人は存在しない」「もしいたら?」「存在しない」
— Kohei Kawaguchi (@mixingale) July 13, 2018
私もイタリア人に聞いてみると「ああ、カプチーノを夜に飲むことはないねー。朝10時を過ぎたら飲まない」と言っていた。常識だ、という雰囲気であった。
彼は寮の自室にエスプレッソマシンがあって、日々の習慣として朝エスプレッソを3ショット作って飲むという。逆に他では飲まないらしい。エスプレッソというのは「飲むdrink」ものではなく「キメるshoot」んだ、と。
食の意識は、文化で異なる。
8年前に米国にいたときに、私がベーグルにジャムを塗って食べる、と、言ったか、あるいはそういうそぶりをしたか……とにかくそういう私自身の食に持っていた意識の片鱗が、何気なく同僚に出たときがあった。その時、同僚は「ないわー」と言った。ベーグルにはクリームチーズが一般的だがそのクリームチーズにはオニオンとかハラペーニョとか、どちらかといえばそうしたサラダ感覚のものが入ってくる。ブルーベリー風味のクリームチーズとかはあるが、本当は余り好まれていなかったのかもしれない。
そのことを爾来ときどき思い出しては考えていたのだが、自分の感覚に置き換えて考えてみると、ご飯にジャムを乗せるようなものかもしれない。これは想像するだけでもかなり強烈な絵柄で、たしかにそれは食べたくない。
食に対する意識はそのようにして、ときに自分がそうしたものを持っているということすら気が付かない。