殺シ屋鬼司令II

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ほんの少しでも子供を授かることを期待する夫婦と、夫婦に接するすべてのひとに読んでほしい本

この本は、

  • 「子供を授かること」を前向きに期待する夫婦(不妊治療中のひとはもとより、不妊治療は自分は関係ないと思っている夫婦も
  • その夫婦に接する可能性のある全ての人(夫婦の両親、きょうだい、親類、友人、同僚、隣人、バスの中で乗り合わせる人、等々……)

に読んでほしいのです。
そう書くと、およそ全人類が対象になってしまう。そんな主語で大丈夫か?という自信はなかったのだが、考えてみると、やっぱりそれでいいと思う。とりあえず(この書評だけでも)読んでいただけると私はとても嬉しい。
むしろ、不妊治療ということを考えたこともない人ほど読んでほしいと思う。それはなぜか?
不妊治療は、医療技術や制度が問題なのではない。それはどちらかといえば「こころ」の問題だということだ。まさにそういうことがこの本には、小説家ヒキタクニオの夫妻が経験した不妊治療についてのエッセイというかたちで明確に描かれている。

夫婦と妊娠・出産のありようはさまざまである。
結婚して特段の通院もないうちに妊娠することはありうる。
もちろん結婚する前に妊娠することも大いにありうる。
そして、妊娠を望むのにできない夫婦もあれば、妊娠を望まないのにできてしまう夫婦もある。
従って、「望む/望まない」と、「できる/できない」という、2x2=4通りのひとがある。

  • 妊娠を望んで、できる
  • 妊娠を望むのに、できない
  • 妊娠を望まないのに、できた
  • 妊娠を望まないし、できない

このうち、不妊治療をするのは「妊娠を望むのに、できない夫婦」である。

まずはちょっと不妊不妊治療ということの通りいっぺんの話から始めてみる。
結婚後1年以上自然な性交渉があるにもかかわらず妊娠しないと「不妊カップル」ということになっている(定義)。今は、その定義の是非は、於く。ただし、そういう概念の存在を知らなかったなら、それだけでもこころの持ちようが変わるかもしれない。
不妊治療を始めてみると、あるカップルの不妊の原因というのも、夫、妻、夫婦双方、その他がある。説明会に行けば、クリニックで円グラフを示してくれるであろう。
これは、ファクトとして厳然としてあるから、ここでは細かく取り上げない。不妊治療を始めれば誰でも目にするグラフだからである。

大事なことは、不妊リスクは「時間とともに高まる」。
リスクが高まるということは、X年前であれば問題なく妊娠できていた可能性があったが現在はできない、ということが起きうる、ということである。
つまり、スピードが第一である。
だからもちろん、一度子供ができたにもかかわらず、第二子ができない、という第二子不妊というのも稀ではない。
そして同じ理由で、「不妊治療」というこころを持つ前に知ってほしいということも同時にある。

もうひとつ大事なことは、不妊リスクへの寄与は、「夫婦ともにありうる」。
どちらが高い、というものではないし、そうしたことを論うと、要らない摩擦の元になる。
どちらも大いに寄与しうるということは強調しすぎてもしすぎることはない。
だから、夫婦双方がともに意識を高めることだ。
そのことをこの本の中では「心合わせ」と呼ぶ。
なかなか耳にしない表現だが、敢えて小説家の表現力で選び取ったのだと思う。
よく考えてみるべき一語である。

いや、妊娠という一事に限っていえば、その後の負担が妻側に全部のしかかる。
全部というのは「代替不可能な心理的・肉体的負担」がのしかかるということである。
まず、懐妊したかどうかを知るのは妻である。
生理が来る。
非情にも生理が来る。
懐妊すればめでたいが、そもそもが不妊治療というスタートラインで始めているので、失敗する経験のほうが多い。
「生理が来る」という形で突きつけられる失敗の経験というのは男性の想像を絶する、重い事実であり、状態でもある。
これは『ヒキタさん』書にも印象的に描かれている。
夫はそれを決して責めてはいけないし、また、逃げてもいけない。
「ハラスメント」である。

また懐妊後も、24時間・280日*1にわたって、つねに責任を負うこととなる。
これは、ヒトの人工子宮というような技術が存在しない現在の生殖医療技術においては、代替不可能な負担であるということだ。
この期間、妻の負担を肩代わりするものもないし、また、遅らせることも、先取りすることも絶対にできない。
妊娠においては「常に今しかない」というプレッシャーに、妻はさらされ続けることとなる。
夫はせいぜい色々読みかじってみたりするのだが、切実さは妻に比べようもない。
これは全く申し訳ないことである。
そうであるとするなら、夫が妻のいいなりになるくらいでちょうどいいのだろう、というのが実感ベースとしてある。

本記事では、自分たちの仔細な状態がどうであったかや選択について詳述はしないが、夫側である私の検査が遅かったことで妻の不安と不満をいたずらに高めたことは今でも後悔・反省している。
夫の検査は最初は基本的に非侵襲的だから、カジュアルに夫の状態を測った方がいいと思う。
繰り返すが、そうしたプレッシャーに最初に向き合うのは常に妻であることを夫は常に心に留めておかなくてはならない。

妊娠を望んでいる(かもしれない)夫婦に接するひとも、またこの本を読んでほしいと思う。
不妊治療を経験するカップルは、人に言えないまま、とてもつらい日々を送っていることが多い。
毎日が、どっちに転ぶかわからない、そんな尾根づたいに吹雪の中を歩いているような日々であった。
周囲の何気ない一言でも、つらさを倍加させることがある。
「ハラスメント」である。
突然の強風のように、平地であれば耐えられる出来事も、緊張の中で疲れている者たちにとっては致命的でありうる。
そうした言葉のいくつかも、この本の中には出てくる。

問題を解決する行為は当事者が負うのであり、アドバイスというのは、結局、責任を取らなくていい無責任だ。
責任を取らないで、アドバイスに従ったひとがうまくいけばドヤ顔をするし、うまくいかなくても身銭を切るわけではない。
こういうありようであってみれば、卑怯者、と言われても何ら仕方ないことになる。

まとめると、こうだ。

「子供は絶対に要らない・作らない」と(どちらかが)思っているカップルは普通にいると思う。そういったカップルでなければ、夫(あるいは夫になろうとしているひと)は「いますぐ」精液の状態を計測すべきである。
そうした「絶対妊娠拒絶」*2でない、例えば「欲しい気持ちはあるけど強く出られない」という妻にとって、夫が協力的でないストレスは徐々に蓄積していく。
これは、とても不幸なことだと思う。
そうした場面で向き合い、協力することが幸せにつながると思う。

ここで「幸せ」というのは、単に妊娠するかしないか、子供ができるかできないか、ということでは、もちろんない。
むしろ、夫婦の価値観をすりあわせ自覚したうえで、現在と将来の生活のありようを積極的に描いていくことこそが、家庭における幸せの階梯だと思う。
また、妊娠を望みながら妊娠しない、というカップルに向き合うひとたちには、この本を読んで、彼らの眼前にどういう世界が広がっているかを見てほしい。
『ヒキタさん、ご懐妊ですよ!』に描かれていることは、単に「いま不妊治療をしている」というカップルが見ているだけの世界ではない。
当然ながら、「かつて不妊治療を経験しながらできず、最終的に撤退を決断した」カップルが、渦中にあった世界でもある。
そして往々にして、そうした世界観というものを表現して共有することは、ふつうのひとにはかんたんにできるものではない。
ならば、小説家の表現力を借りるのはむしろ順当といえるではないか。
さらにいえば、「誰が不妊治療をしているのか、していたのか」オープンにすることは少ない。こういう経験談を「教養として」あるいは「保険として」読んでおくことで、スムーズなコミュニケーションも期待できますね。

*1:妊娠期間を日本の慣用句で十月十日というのだが、これは英語では280daysとされている。妊娠期間を記録するスマホアプリに「トツキトオカ」というものがあるが、この英題がまさに280daysになっている。我々も使用していた。

*2:無論そうした場合でもできてしまうことは存在するというのは最初に書いたとおりだが、本稿で考察する対象ではないので割愛する。