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離乳食をあげていると、子供が食べるのをいやがってぐずりはじめることがある。
バンボという、食事用のベビーチェアにすわらせて、ベルトとバックルに固定する。そして、あたためた離乳食をあげている。
市販の、レトルトの離乳食をあげることもあるのだが、そういうのは味付けもきまっていて、ちゃんとあたたまっていればよくたべてくれるので、準備の面でも、食事の面でもほんとうにラクではある。
ただ、うちで調理した離乳食だと、たべなくてグズることがある。2回に1回ほどある。
そうなると、途方にくれることになる。座った状態から全身をおおきく「のび」をさせて、もうほとんど座った状態ではなくなってしまう。そこをなだめないといけない。
コツというほどのコツでもなく、完全にだましだましやる方法でしかないのだが、 そのときわたしがおこなうのは、「いないいないばあ」である。
子供が少しでも泣く、グズるそぶりをみせはじめたら、心を込めて、連続いないいないばあ
わたしはグズる子供に、とにかく何度でもいないいないばあをしている。連続いないいないばあだ。
泣き止むまで、延々といないいないばあをする。
どうやら意識が「たべる」というところになくなって、端的な「イヤ!」という拒否の意識だけになってしまうというか、そこにガーターしてしまうというか、そういうお気持ちになってしまうようにわたしにはみえている。
だから、そこからなんとかフラットな、ニュートラルなところまでもどってもらうために、まずは、「イヤ!」という意識への執着からひきはがし、まずわたし自身に向けてもらってはどうかとかんがえて、いないいないばあ、をしてみた。そうすると、何度かに一度は、「ギャーーッ」という絶叫が、ふっ、ととまる瞬間があるのを、わたしはみのがさなかった。
そうして、泣きがおちついたところで離乳食を口にはこぶ。
- 「いないいない……」で両手で顔を隠す
- 一瞬待つ
- ここで子供が泣き止むかを耳で判じる
- 掌のうちがわの顔を満面の笑みにして待機
- やにわに両の手のひらを開放する
- そこから顔の下へと動かして「パプリカ ハナガサイタヨ」のハンドサインの「印」をむすぶ
- 満面の笑顔のまま「ばあ〜〜」という
- 以上泣き止みフェーズまで移行するまで繰り返す
- 泣き止みに来たな、と思ったら、キープしていた笑顔をパージして無表情に戻る
- テーブルの上の皿とスプーンを速やかに手に取ってごく少量の離乳食を子供の口に運び、様子を見る
だいたいこうした流れで、どうにかこうにか離乳食を与えることができることがある。
強力な支援、反町隆史「ポイズン」
昨年夏ごろこのような動画が公開され話題になった。
これは、長い間育児をするひとたちのなかで連綿と語り継がれてきたPOISON伝説が、公式に検証されたというものだった。
うちの子供も、POISONは多くの場合非常によくきいて、泣き止んでくれる。
スマホでエンドレスリピートしているぐらいである。
動画のなかでは、冒頭のギターリフの効果と指摘されているが、わたしの観察ではそのまえのサウンドエフェクト? パーカッション? からすでに泣き止みへのコース変更がはじまるようにみえている。
これは食事中のぐずりにも有効なことがある。ただ、手元にiPhoneがなくて利用できない場合がおおく、延々と「いないいないばあ」をしているのが実情だったりする。
グズる方向にいかせないための予防線:離乳食にとろみをつけたり、あたためる
市販の離乳食をよくたべてくれるのだから、なんらかの条件で離乳食を苦もなく食べるのはまちがいないのだ。
では、市販のものと、自炊と、なにがちがうのか、と見比べると、どうも「とろみ」なのではないかとみえてきた。
それで、あるときグズったときに、そのころ炭水化物として与えていたおかゆを白いご飯にかえてきていたのをすこし逆戻りするかのように、ご飯にお湯を少々足してみた。
ご飯にお湯を足してまぜると、それ自体のとろみで、粘り気がでる。
そうすると、子供は非常にスムーズにたべてくれた。
またご飯に長い時間がかかっていると冷めてくるが、それも食べづらくなることに寄与していそうだ。
だから、その場合は電子レンジであたためなおしてみることもある。
上アゴ(口蓋)に離乳食がくっついてグズることも
これはなかなか気がつかないことなのだが、どうしてもなきやまないときに、子供の口を見てみると、口の天井部分に食べ物が詰まっていることがある。
いいかえると、食べ物が上顎に張り付いた状態になって、それが不快なのに自分では舌を動かして取る動作がまだできず、それで泣く、ということのようであった。
このときは、注意して口に指を突っ込んで取るしかないように思う。もちろん、歯が生え始めていると、噛まれることもある。
だが、スプーンとかでは万が一のさいに喉の奥を突いてしまうのがこわいので奥まで突っ込みたくない。
これが取れると泣き止むということがあった。
グズった時こそ子供に真剣に向き合う
やはり基本はそこに戻ってくるのだろう。
観察と試行錯誤のなかで育児は進んでいくが、それは結局、親が子供をどれだけコミットしているかということの試金石になっているかのようだ。
以上に書いたことをやってもにっちもさっちもいかないこともある。そういうときはいさぎよくあきらめたりする。
そもそも、離乳食以外の育児のとりくみも、育児以外の状況も、予断を許さないことばかりがある日常をわれわれは誰しも生きている。
そのなかで誰かの助けになればいいなと思い、わが家の経験を書いておいた。
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