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母乳とか粉ミルクとか混合ということは、始まるまではわからないけど、始まってしまうと、毎日に忙殺されて、もうほとんど気にしているどころではなくなっていくもの、のようです。
もう、どちらかで回り始めるとそれで進んでいく。それしかなくなっていくのですね。
そしてもう、1年がたったいまではなんの気にもなっていません。
わが家でかんがえたことを、かきのこしておきたいとおもいます。
母乳か、粉ミルクか、混合か
そもそも論として、栄養学的には、母乳と粉ミルクで問題になるような差があるわけではないということは証拠で明らかになっています。科学的に正しい子育て~東大医学部卒ママ医師が伝える~ (光文社新書)でもそうです(たまたま手元にこの本があるからこれを引いている)。
そして、SIDS(新生児突然死症候群)の予防という観点からは、母乳が積極的に推奨されていますね。
ただし、個々の事例にあって、日々の生活の中で、粉ミルクが利用可能なときもあれば、母乳が張って苦しいというママの感覚もあります。そうしたことをそれぞれの状況をみて進めていくことが、ミルクか、母乳かを左右する。
最初は色々と気をもんだものです。
母乳がでない(ように自分では思う)とか、与え方が良くないのではとか、栄養が足りないのではないか、逆に多いのではないかということばかりが、家庭内でさまざまな話題になりました。
こればっかりはやってみなくてはわからないものなのだそうです。
なぜなら、親の側で完全母乳(完母)を望んでも、赤ちゃんが飲むのがうまくないこともあり、ミルクやむなしという流れになることも多いという。
やたらめったらいろいろ悩むことになったが、結果として、わが家では混合でした。最初から完母はかんがえていませんでした。
十分な栄養供給を、粉ミルクで確保する。
粉ミルクは「エコらくパック」で詰め替えられるようにしてあります。詰め替えパウチを開封してケースに入れれば、そのままつかえる設計です。粉ミルクを使い切ったあとは、パウチはコンパクトにまるめて捨てられる。パウチは四角い(直方体の)箱にはいっているので、丸い缶のようにかさばらなくていいし、ゴミ捨てに金属ゴミの日まで待つ必要もなく、パウチはプラゴミで捨てられる。
また、母乳については、まずは、最初の頃は、母子の免疫(抗体)の伝達という点から、積極的にあげたいと思っていました。
その後、母親は張る母乳を子供に与えるいっぽうで、子供は母乳を吸っているうちにリラックスして眠る、という、母子の心身の安心感からも利用されているように、蚊帳の外のわたしにはみえていました。
ベストをさがして東奔西走
3ヶ月以内の頃でしょうか? なにくれとはなく小児科や、助産師さん、保健師さんたちにはなす機会をみつけては、どんなものだろう、ということをたずねてまわっていました。
西によく母乳がでる方法をおしえる母乳教室があるときけばいって意見をうかがい、東に産後ケアをする助産院があるとみつければタクシーにとびのるなどということがありました。
妻は産後の入院期間中、日々、授乳や沐浴などの新生児ケアの基本について、トレーニングをうけました。
そのなかで、ある助産師は「とくに夜中は、疲労回復がだいじ。つかれないように、授乳はさっさときりあげた方がいい」という。
授乳にかける時間は短い方がいい。母乳を飲まない時はさっさと粉ミルクに変えて、授乳に1時間とかかけちゃだめ、と。そのように体力温存を重視することを説く。
別の日の当直の助産師さんは、飲んだあと1時間ほどだっこすると、戻さなくていいんですよ、といった。この間の助産師さんと言ってることが矛盾してるじゃないか。
医師は「あげる量が少なすぎると不安ですからねえ。多い分にはまあいいでしょう」といった。
また別の助産師は「あげ過ぎちゃダメなんです」といった。医者ということが、違う。
そんなふうに、だれを信じればいいのかわからない、そんな渦のなかで翻弄されるのが、新生児期だったんですね。
どこでどういうはなしをきいたかはこまかくおもいだせないのですが、そのなかでいくつかわかってきたこととしては以下のようなことでした。
- 授乳ピローはうちの母子についてはかたいもの、(値段という意味ではなく)高さのがあったほうがよかったが、買わずに終わり、そのうち結局それも気にしなくなった。
- 粉ミルクの量は最初のころは粉ミルクのパッケージにしるされた量をめやすにしていたのだが、あるときの助産師さんに「そんなのはあげすぎ。そういうのは、産まれたときから巨大な子を粉ミルクだけで育てるときの目安で、あなたは母乳もあげているしおおきすぎるという子でもないから、そんなに必要ないんです」といわれて、80 mLとか100 mLとかでずっときた。粉ミルクはかなり早い段階で200 mLあげろとパッケージに書いてあったりする。結局、いちどきに200 mLをあげることはいままでない。1歳をすぎたいまでさえ、140 mL程度しかのまない。
- 先日風邪を子供がひいたときに耳鼻科にいわれたことは、添い乳は咽頭から耳に流れるリスクもあるので望ましくないらしい。
結果として1年間、混合でよく成長している。
ここで「よく」というのは、成長曲線として母子手帳に収載された、グラフのうえでのはなしです。わたしは生物学者でもあるので、こうしたグラフと数値があるとどうしても書き込んでしまう。そうすると、このグラフの、ちょうどまんなかを堂々と通っていっていることがわかる。それはよくもなくわるくもないが、とにかく統計的に成長はすくなくともしている。そういう意味での、よい、です。
逆に、かえって、たまたま同時期にうまれた子供がものすごく大きいんだというはなしをきいたりすると、わたし自身は、「粉ミルクのパッケージの指示通りにミルクをあげているということなんだろうか?」とおもったりもしたが、それでなにがわるいということもないのでしょう。
よくそだつ子、どうしてわるいことがあろう、と。
ぜんぜんわからない わたしたちはふいんきでふいんきをやっている
「みんないうことが違って、みんないい……わけねえだろ!」という状態だった、という話を、しました。
というのは、どれも、一理あるわけです。まったく根拠ないというわけではない。だから、なやましいわけです。
妻が産後の入院中のはなしです。同時期に出産したママさんたちとの食事会が、コロナ感染対策にじゅうぶん配慮しておこなわれたということでした。
そのママさんのなかには、ふたりめをうんだひともいた。つまり、すでに経験者でした。
妻はそうしたママさんたちにたずねました。
「助産師さんもそれぞれ授乳についていうことがちがうんです。だれを信じたらいいのかわからなくて……」
「そうなんですよ!」ある先輩ママはいいました。
「みんな違うんです。ほんとうにそう。ぜんぶやるなんてムリ! だから、まず、いわれたことのなかでじぶんでもできる! というものをみつけるんです。これならできる、というものをね……そして、それをいった助産師さんひとりのいうことをひととおりきく、ときめる。そうするしかないんですよねえ……」
現在のことばでいえば、「推し助産師」をこころにもつ、ということなのでしょうか。
妻はわたしに、たいそうおどろいた、といいます。
どうも、「なにがただしいのか」「なにがベスト・プラクティスなのか」というのも、だれもよくわかっていないことが子育てにはおおいらしいということを、わたしたちは1年間の育児で発見することが、おおかった。
それでもたぶん、いちばんだいじ・基本・基礎なのは、自分たち、親が、まず目のまえのわが子に、まっすぐむきあう、ということなのでしょう。
これまでの育児記事より
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