講義をしていて、あらためて、生命とは何かということをかんがえなおしてみたくなった。
いちおう、とおりいっぺんの、細胞や代謝、そして遺伝や進化という、細胞性生命の定義については承知しているわけである。
しかし、問われているのはそういうことじゃないんじゃないの、という気もした。
だからいまいちど、原点にたちかえって、かんがえなおそう、とおもった。
この本の読み方だが、生細胞のしくみを物理学、つまり、物質面・情報面・エネルギー面で理解しようとするものだ、といえると思う。
現代の分子生物学者・遺伝学者として、情報面はむしろ自明だ。そして、やはり、物質面の解明が鮮やかで魅了される。
しかし、最後の、シュレーディンガーのかたるエネルギー面については、正直、わたしは理解できていない。
ひそかに、それは誰も理解できていないのではないか、と思う。
もちろん、熱力学に明るいひとは多い。しかしそれを生細胞の現象としてどれだけ理解できているのか、理解したと十分に表現できているのか。
物理学者は生細胞にあかるくないし、生物学者は物理学にあかるくない。
そのあわいに対しいま一度目をむけてみようと、精読をしている。
ねがわくは、ニック・レーン『生命・エネルギー・進化』とつきあわせてかんがえてみたい。
先日、維管束のことを語った。
thinkeroid.hateblo.jp
維管束とはすなわち植物のリグニンとアポトーシスが流体力学を介して万有引力をハックする「天に向かって流れる川」だった、という話だ。
しかし、維管束がハックだったとするなら、やはり地球生命史上最大のハッキングは、細胞にもとづく生命活動それ自体であるとかんがえないわけにはいかない。
いわば、そこで起きているのはミクロな時間スケールにおける熱力学のハックだということである。
光合成も重要なハックではないか、というのだが、ある意味では、ハックとしての光合成は、細胞それ自体のエネルギー流のハックを、たまたま太陽光を起点に再編成したものと解釈することは可能だ。
すなわち、結局、熱力学のハックという側面を解く以外に方法はない。
そうした解明にむかうとき、じつは、あの「動的平衡」というバズワードは、あまりヒントをあたえてくれない。
この、幸か不幸か、あまりに文章のうますぎた分子生物学者が書いた本で急速にクローズアップされた「動的平衡」ということばは、ひとことでいえば、「生命現象は化学反応論の枠組みで研究できますよ」という、20世紀のある時期に急速にすすんだムーブメントの象徴的な表現以上でも以下でもなかった。
もちろん、それは生物学史上では重要な局面であり、あまりにおおくのことが解明されたことはいうまでもないことだ。
しかしながら、そもそもその動的平衡がどこからたちあらわれるねん、という肝心な問いは、答えられざるままにすぎている。
わたしはそこに不満をいだいている。
もうそろそろ、アポリア(難問)の幻影にまどわされるようなお年頃でもないでしょう、と。
たぶん、アポリアなるものは、常に、既に、原理的に明解に解消しうるので。